無尽蔵道しるべ礼拝説教神の知恵袋命の糧








年(とし)に名前をつける





■年に名前をつける
(聖書個所) 「創世記 1章 1節〜 4章15節」

「こうして人は、すべての家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名をつけた。」 (創世記 2:20)



今朝も、輝く太陽が全地を照らしながら昇りました。この太陽は限りない可能性を持って、全ての人を公平に照らしています。しかし、ある人は、同じ太陽の下で、毎日の生活を創造や勝利と祝福で満たすかわりに、ある人たちは悲しみや敗北と絶望で傷つけれられている人々がいます。

どうしてこのような違いが起るのでしょうか?それは、与えられた日々に、正しい名前をつけなかったからです。名前とは、何時でも人や事物の性格や運命を決定する重要な役割があるのです。

今日の御言葉を読むと、アダムが、神の造られた全ての生き物に、知恵深く名前をつけてやった事がわかります。神は、人間に名前をつけられる能力、即ち、性格や運命を定めることが出来る偉大な能力与えて下さったのです。

聖書には、神が一人の人の運命を変えさせようとする場合、必ず、その名前を先ず変えられた事実が記されています。アブラムは、99歳になるまで息子がいませんでしたが、99歳になった年に、神は彼の名前を「アブラハム」と変えられました。アブラハムとは、ヘブル語で、「多くの民族の父」と言う意味です。また、彼の妻のサライは、「サラ」即ち「女主人」と言う意味の新しい名前に変えてくださいました。そして、その名の通りにアブラハムとサラは、多くの民族の先祖と女主人になると言う運命の変化を体験しました。

イエスも同じ事を行われたことがあります。主は、ガリラヤ湖のほとりで、短気で気が荒く、気まぐれな一人の男に会いましたが、彼の名前はシモン、即ち「葦」と言う意味でした。しかし、イエスは、彼の名前をペテロ、即ち、「岩」と言う意味の名前に変えて下さいました。実際、ペテロは教会の柱となり、岩になりました。

ですから、今日私たちが名前も無くやってくる一日一日に名前をつける事は、とても重要な意味があるのです。「一日」と言う時間の区切りに、どのような名前をつける事ができるのかと思われる方があるかもしれませんが、現実に、無意識的にそのような名前をつけている、と言う事実がある事を知らなければなりません。

例えば、朝起きて、「今日は運が無い」と言うなら本当に運が無い日となり、「面倒くさくて生きられない」と言うなら、実際に一日中面倒くさい事の為に生きられない状態になるのです。しかし、朝起きて、「今日は楽しい日だ」とか「苦労した甲斐がある日だ」とか、「効率的なる一日」であると名前をつけるなら、その日にはそのような事が起るようになるのです。 

これと同じように、一年にも名前をつけるなら、その年の性格や運命が方向づけられて、成就するようになります。これから、皆さんは、全く新しく、限りない可能性を持った新年が、神から贈り物として与えられました。アダムに動物を贈って名前をつけるのを見守っておられた神は、今日も皆さんを見守っておられます。さあ、あなたは今年にどんな名前をつけるでしょうか?
















マザーテレサ 愛のことば

 
NO.04001