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疑ってはいけません





■疑ってはいけません
(聖書個所) 「創世記 48章 8節〜50章26節」

「疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。」 (ヤコブ 1:6〜7)




 私たちは、神の御言葉を信じ、願い求めた通りに頂ける事を、疑うことなく信じたいと願います。それにも拘わらず、願いもしなかった疑いが襲ってきて、私たちの信仰が揺さぶられる時があります。疑いは誰にでもやって来るのです。

 聖書には、偉大な主のしもべたちも疑った事があったのを見る事が出来ます。旧約時代に、エリヤがカルメル山の上に祭壇を築いて、天から火が下る事を祈ると、天から火が臨んで祭壇の上の供え物がみな燃えてしまう奇跡を見ました。その奇跡を通してイスラエルの民が、「主(ヤ-ハウェ-)こそが神である」と叫びながら悔い改め、神に立ち返りました。この時のエリヤは、バアルの預言者450人を全部捕まえてキションの川辺に連れて行き、彼らを滅ぼした信仰の勇士でした。

 しかしその後、王妃イゼベルが、「私は明日の今頃にはお前をあの人たちの中の一人の様にする」と言ったと聞いて、たちまち心の中に疑いが入って来ました。

 エリヤは、自分の命を救おうと荒野に逃げ出し、エニシダの木の下にひれ伏し、神に向かって叫びました。「主よ。もう十分です。私の命を取って下さい。私は先祖たちにまさっていませんから。」(T列王記19:4)エリヤも人間でしたから、少し前に神の驚くべき奇跡を見たにも拘わらず疑ったのです。

それでは、必ず襲って来る疑いに勝つ道は何でしょうか?疑いが波の様に押し寄せて来る時、その疑いを克服して信仰の地に足を踏み入れる道はあるのでしょうか?それは神に感謝を捧げる事です。私たちが感謝を捧げ、讃美を歌う時、疑いは消えてしまうのです。詩篇50篇23節に、「感謝の生贄を捧げる人は、私をあがめよう。その道を正しくする人に、私は神の救いを見せよう。」と記されています。

私たちが奇跡を体験する為には、信じ求めたものを疑ってはなりませんし、疑わない為には、感謝しなくてはなりません。また感謝した後は、ちょうど春に種を蒔いて、秋に収穫するように、時を待ちながら忍耐して神の御心がなるのを待たなければなりません。どのような事でも、全てに感謝しましょう。そうすれば、神が責任を取って下さいます。

疑いが私たちの霊魂や肉体を滅ぼす作用をするのに対して、感謝は、霊、魂、肉体の活気や生命力を解き放つ役割をします。感謝を持って捧げる礼拝を通して、皆さんの心の中のいろいろな疑いを、きれいに退治してしまいましょう。
















マザーテレサ 愛のことば

 
NO.04017