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恵みのとげ





■恵みのとげ
(聖書個所) 「出エジプト 8章 1節〜 9章35節」

「そのために私は、高ぶる事のない様にと、肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高ぶる事のないように、私を打つための、サタンの使いです。」 (Uコリント 12:7)




私たちが、イエス・キリストを救い主として信じ、口で告白し、毎日聖霊に満たされて、恵みの中で生きているにも拘わらず、私たちの生活には絶えることなく、とげがやって来るのを見て当惑する時があります。しかし、聖書には、私たちより遥かに偉大で、遥かに信仰が深く、第三の天にまで行ったパウロでさえ、彼の生涯の中にやって来る弱さ、能力の欠如や貧しさ、迫害や苦難を、感謝と考え、却ってそれらを誇りにしている姿を見る事が出来ます。

何故、それほどに偉大な使徒パウロに、そのようなとげが与えられたでしょうか?聖書には、パウロにとげが与えられたのは、彼が高ぶる事を防ぐ為であったと記しています。第一コリント12章の1節から4節には、使徒パウロが肉体で生きている時、第三の天に上り、天の全ての神秘や栄光を見る体験をした記録があります。このように使徒パウロは天国に行き、言葉では表現する事が出来ない栄光に満ちた美しい情景を目撃した後、この世の生に対して、「もし、この肉体のいのちが続くとしたら、私の働きが豊かな実を結ぶ事になるので、どちらを選んだら良いのか、私にはわかりません。私は、その二つのものの間に板ばさみとなっています。私の願いは、この世を去ってキリストと共にいることです。実はそのほうが、遥かにまさっています。」(ピリピ1:22〜23)と告白しています。

またパウロは、天に行って来たはっきりとした体験があった為に、「私たちの住まいである地上の幕屋がこわれても、神が下さる建物がある事を、私たちは知っています。それは、人の手によらない、天にある永遠の家です。」(第二コリント5:1)と言いました。それだけではなく、パウロは信仰によって義とされる奥深い聖書の真理を悟り、その真理を私たちに教えてくれたのです。

このようにパウロは、深い信仰の体験と奥深い黙示を絶えず受けていました。その為神は、パウロが怠けたり、高ぶったり、世俗化してしまう事のない様に、肉体にとげ、即ちサタンの使者を与えられたのです。

ですから、私たちに与えられたとげは、私たち自身に依り頼むと言う誤った信仰を捨てて、弱さをあらわにさせて、私たちの怠情や高ぶりを防ぎ、迷いから目覚め、ただ主だけを求める様にして下さる為のものなのです。それゆえ、私たちは、私たちの生活にやって来るとげを、むしろ感謝しながら受け入れ、毎日、キリストの中で目を覚ましている信仰生活をしなくてはならないのです。
















マザーテレサ 愛のことば

 
NO.04020