イエスは十字架に付けられる一週間前にエルサレムに上がって行かれましたが、その途中ベタニヤへ立ち寄られました。マルタは、イエスがベタニヤへ来られると聞いて、村の入り口で待ち、イエスを家に迎えました。そしてイエスの為に忙しく宴会の準備をしました。何故かと言えば、宴会を開いて、マルタとマリヤの兄であるラザロを、死んで四日もたっていたのに墓から生き返らせて頂いたイエスの恵みに報いたいと思ったからです。
その時、イエスの御言葉を聞いていたマリヤは、立ち上がって自分が結婚する時の持参金の為に大切にしていた高価な香油を持って来ました。マリヤは自分の結婚の事よりも、主に対する感謝の気持ちの方がもっと大きかったのです。彼女は、その壷を割って香油をイエスの頭に注ぎ始めました。マリヤは自分の全てを捨てて献げ尽くすと言う犠牲を払ってイエスに油を注ぎました。彼女の心には喜びの泉が湧き上がっていたのです。
しかし、同じ時に、同じ部屋の中に居て、同じ事を見ていた人たちの一人であるイスカリオテのユダは、怒りで顔を歪ませていました。彼は、マリヤの行動を見咎めて声を荒げました。「何故、この香油を三百デナリに売って、貧しい人々に施さなかったのか?」それは彼の本心ではありませんでした。ヨハネの福音書12章6節には、「しかしこう言ったのは、彼が貧しい人々の事を心にかけていたからではなく、彼は盗人であって、金入れを預かっていたが、その中に収められたものを、いつも盗んでいたからである。」と記されています。イスカリオテのユダは、貪欲で一杯の人だったので慈善に事寄せて、いつも献金を盗んでいたのです。ユダはイエスを愛した事がありませんでした。
彼が最初にイエスエに従ったのも信仰的な動機ではなく、政治的な動機の為でした。彼はイエスがユダ王国を立てると見込んで、そうなったらその王国で統治権にあずかろうと考えていたのです。それなのに日が経っても、イエスが地上王国についてよりも、天国の事を話しておられる為にユダはだんだん失望するようになりました。
マリヤは愛を捧げた為に幸福を感じる事が出来ましたが、ユダは地位や名誉を願っており、金入れの献金を盗む事もためらわなかったほどに貪欲に陥っていたので、失望や不幸に震わせたのです。
まことの幸福は受けるところにあるのではなく、与えるところにあるのです。
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