無尽蔵道しるべ礼拝説教神の知恵袋命の糧








信仰と義務





■信仰と義務
(聖書個所) 「レビ記 5章 1節〜 7章38節」

「人の子が来たのが、仕えられる為ではなく、かえって仕える為であり、また、多くの人の為の贖いの代価として、自分のいのちを与える為であるのと同じです。」 (マタイ 20:28)




民主主義の世界で生きている私たちは、自由と人権を享受しています。しかし、そのような権利を享受する為に、私たちには、国家や社会で守らなければならない義務があります。信仰生活も同じです。私たちが、力ある、良い実を結ぶ信仰生活をするには、何よりも信仰がなければならず、また義務を必ず守る決心をしなければなりません。

私たちには、先ず、礼拝の義務があります。この地に生きる人々は誰でも何らかの礼拝の対象を持っています。或る人は人間を礼拝し、或る人は黄金や権力を礼拝します。また或る人は科学を礼拝しています。しかし、私たちイエス・キリストを信じる者には、絶えず神を礼拝する心がなければなりません。

第二に、聖く生きる義務があります。イエスを信じる前は、肉の欲や目の欲、この世の自慢に惹かれ、欲の虜になった生活をして来ました。しかし、イエスを信じた後は変わらなければなりませんし、また変わるのです。何故なら、私たちは死からいのちへ移され、悪魔の子どもから神の子どもに変えられたからです。それゆえ、私たちは神の前で何時でも清く、聖潔に生きる義務があるのです。

第三に、御言葉を学ぶ義務があります。私たちが聖書の言葉を読むと、神の御言葉を通して天国についての真理を悟る様になります。聖書の言葉は、啓示的な知識を通して、人生の目的と価値、死の先にあるもの、また、世について細かく教えてくれます。

第四に、祈る義務があります。祈りは神と人との対話です。あなたも、祈りの義務を守って、必要な物は主に求め、感謝すべき事には感謝し、讃美すべき事は讃美しなければなりません。

第五に、私たちには、福音伝道の義務があります。私たちは人を主に導き救う力は持っていませんが、私たちが伝道する時、救いの働きを聖霊が行って下さいます。ですから、私たちは信じていない人たちに、イエス・キリストの福音を伝える義務があるのです。

最後に、私たちには、仕える義務があります。私たちは、収入の十分の一を主に仕えて献げ、また時間や身体を献げて、主の栄光の為に仕える義務があるのです。

この様に、私たちが、力ある信仰生活、実を結ぶ信仰生活をする為には、礼拝の義務、聖潔の義務、御言葉の学びの義務、祈りの義務、福音伝道の義務、そして仕える義務を果たさなければならないのです。















マザーテレサ 愛のことば

 
NO.04032