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準備された器




■ 準備された器

「ヨハネの福音書 2章 6節〜11節」
2: 6 さて、そこには、ユダヤ人のきよめのしきたりによって、それぞれ八十リットルから百二十リットル入りの石の水がめが六つ置いてあった。
2: 7 イエスは彼らに言われた。「水がめに水を満たしなさい。」彼らは水がめを縁までいっぱいにした。
2: 8 イエスは彼らに言われた。「さあ、今くみなさい。そして宴会の世話役のところに持って行きなさい。」彼らは持って行った。
2: 9 宴会の世話役はぶどう酒になったその水を味わってみた。それがどこから来たのか、知らなかったので、・・しかし、水をくんだ手伝いの者たちは知っていた。・・彼は、花婿を呼んで、
2:10 言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、人々が十分飲んだころになると、悪いのを出すものだが、あなたは良いぶどう酒をよくも今まで取っておきました。」
2:11 イエスはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行ない、ご自分の栄光を現わされた。それで、弟子たちはイエスを信じた。




或る日、イエス様が母親と弟子たちと一緒にカナの婚礼に招かれて、みんなと共に楽しみを分かち合っておられました。ところが、宴会の途中にぶとう酒が切れる困ったことが起こりました。充分に準備して始めた宴会でありましたが、予期しなかった難関にぶつかるようになったのです。祝福と喜びの中で絶頂に達しかけていた宴会が、それ以上は続けることができなくなりました。

この時、イエス様が石の水がめに水を満たすようにし、これをぶとう酒に変化させてくださることによって、深刻な難関に直面した彼らの問題を解決してあげました。

こんにちもイエス様は、私たちが抱えている色々な問題を解決してあげようと望んでおられます。私たちが抱えている問題を解決していただこうと願うのであったら、カナの婚礼の家に六つの空いた水がめが準備されていたように、私たちも心の器が準備されていなければなりません。

先ず、私たちはいつも神様に対する感謝の器を準備していなければなりません。こんにち、数多くの人たちが感謝することはおろか、「神が生きておられるなら、どうして私にこのようなことが起ころうか?」と、不満に満ちた人生を生きています。

しかし、神様の思いは私たちの思いとは違います。(イザヤ書55:8参照)従って、神様が私たちの価値尺度によってこの世をご支配するのでもありません。ですから現在当面している苦しみと悩みに対して、私たちの思いと価値尺度を先立たせて神様を怨み、不平を言ってはなりません。かえって神様に感謝しながら、すべてを働かせて益としてくださることを信じて生きていくとき、神様は私たちの信仰にふさわしくすべてを成就させてくださるのです。

また、私たちはいつも信仰の器を準備していなければなりません。聖書に「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。」(ヘブル11:6参照)と記録されています。ですから神様の子たちは、神様の御言葉の上に堅く立って、目には何のしるしも見えず、耳には何の音も聞こえず、手には触れるものが何もなくても、神様の御言葉を信じる信仰で生きて行かなければなりません。

イエス様の母・マリヤは、ぶとう酒が切れたとき、主に静かにその事実を告げました。マリヤは、イエス様の能力を信じていたので少しも心配しませんでした。神様は、私たちがこのような信仰を持っているとき、喜んで私たちを祝福してくださるのです。

進んでは、私たちはいつも希望の器と、愛と義と賛美の器を準備していなければなりません。神様は、主のお恵みと祝福を望み、期待する人たちに助けの御手を伸ばされ、愛を実践し、義を行い、賛美で主をほめたたえる人たちに、満ち溢れる祝福を与えてくださいます。

私たちは感謝の器、信仰の器、希望と愛と義と賛美の器を準備して、私たちの人生にも現わされる神様の“カナの奇蹟”を体験しなければなりません。





お祈り

宇宙万物を造られ、主管しておられる神様、カナの婚礼の宴会で水をぶとう酒にしてくださった奇蹟を、私たちの家庭にもほどこしてくださって有り難うございます。 私たちの家庭がこのような奇蹟をこれからも体験することができるように、いつも感謝と希望と賛美の器を準備しているように助けてください。 イエス様の御名によってお祈り申し上げます。アーメン!







マザーテレサ 愛のことば

 
NO.05021