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1月5日


■ 出会いと答え

「マタイの福音書 15章25節〜28節」

15:25 しかし、その女は来て、イエスの前にひれ伏して、「主よ。私をお助けください。」と言った。
15:26 すると、イエスは答えて、「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです。」と言われた。
15:27 しかし、女は言った。「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」
15:28 そのとき、イエスは彼女に答えて言われた。「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」すると、彼女の娘はその時から直った。




世界的に有名なユダヤ人の哲学者であるM.Buber(ブーバー)は、「私とあなた」という本で、「この世の中を生きている人々が結んでいる人間関係には、二つの種類がある。」と言いました。一つはお互いに人格者として尊重しあうことにより、愛と信頼をもたらす「私とあなた」の関係であり、他の一つは相手を利用価値、あるいは商品価値として扱う、「私とそれ」の関係であると言いました。私たちは、今日の本文に出てくる‘カナン人の女とイエス様’との出会いを通して、そのようなことをよく知ることができます。

カナン人の女はイエス様について間違った考えを持っていました。彼女は凶悪な霊に取りつかれている娘を治すためにイエス様に会うことを熱く望んでいました。そうした中、イエス様がツロの地方を通られるようになると、走り出て来て、「主よ。ダビデの子よ。私をあわれんでください。娘がひどく悪霊に取りつかれているのです。」と叫びました。その時、その女がイエス様を向かって、「ダビデの子よ。」と呼んだのは、イエス様の機嫌を取るための宗教的な偽善でありました。そのようにイエス様をただ問題を解決するための手段と考え、人格的な関係を結ばない人は、いくら叫んでも答えてもらえないのです。

その女は、イエス様の御答えがないのでと、考えを変えて、弟子たちをつかんで切に頼みました。弟子たちは彼女の苦しい事情を主に申し上げました。すると、イエス様は、「わたしは、イスラエルの家の滅びた羊以外のところには遣えされていません。」とお答えになりました。切羽詰まった女は偽善的な手段と方法を全部捨てて、主の前にひれ伏し、「主よ。私をお助けください。」と頼みました。その時になってようやく、イエス様は女との対話に応じてくださいました。

カナンの女が答えていただく場面を取上げてみます。女の告白に対して主は、意外にも「子どもたちのパンを取り上げて子犬に投げてやるのはよくないことです。」と言われました。女はその侮辱的な言葉を聞いて帰ろうかとも考えましたが、後へ下がらずに、「主よ。そのとおりです。でも、子犬でもその主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」と言いました。その話を聞いた主は女の心の中心にまことの「あなたと私」の人格的な関係が結ばれたことを知られ、「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」と答えてくださいました。そして、悪霊に取りつかれている彼女の娘が、その時に癒されました。

私たちクリスチャンは神様に会う時、「私とそれ」の出会いではなく、「私とあなた」の出会いにならなければなりません。そのように神様と私たちの間に人格的な関係が結ばれるとき、ようやく私たちは神様に認められ、答えていただけるようになるのです。





お祈り

カナンの女はイエス様に会い、信仰の告白を通して自分の娘が癒される祝福を得ました。主よ。イエス様は救い主であられり、私たちを救ってくださったことに心から感謝します。私たちの問題を解決する方はただイエス様だけであることを告白し、ほめたたえます。 イエス様の御名によりお祈り申し上げます。アーメン。