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1月28日


■ 血潮の叫び

「創世記 4章:8節〜10節」
4:8 しかし、カインは弟アベルに話しかけた。「野に行こうではないか。」そして、ふたりが野にいたとき、カインは弟アベルに襲いかかり、彼を殺した。
4:9 主はカインに、「あなたの弟アベルは、どこにいるのか。」と問われた。カインは答えた。「知りません。私は、自分の弟の番人なのでしょうか。」
4:10 そこで、仰せられた。「あなたは、いったいなんということをしたのか。聞け。あなたの弟の血が、その土地からわたしに叫んでいる。


もしも、十字架で流されたイエス・キリストの血潮を除いてしまうとしたら、キリスト教はその核心を失ってしまいます。なぜなら、主が流された尊い血潮には救いの神秘な御力があるからです。「創世記4章」には、カインがアベルを打ち殺す悲惨な話しが記録されています。神様は殺人を犯したカインに、「あなたの弟アベルは、どこにいるのか。」と問われ、「あなたの弟の血が、その土地からわたしに叫んでいる。」と仰せられました。

ところが「ヘブル人への手紙12章24節」を見ますと、『アベルの血よりも優れたことを語る注ぎかけの血』という言葉があります。それは実に‘イエス様の血’をいうのです。それでは、アベルの血よりも優れたことを語るイエス様の血潮は、こんにち私たちに何を叫んでいるでしょうか。

先ず、主の血潮は、私たちが不従順のくびきから免れたことを叫んでいます。イエス様は、十字架の苦難を前にしてゲッセマネの丘で切に祈られました。この時、イエス様がどんなに必死的に祈られたか、「汗が血のしずくのように地に落ちた。」と、聖書に記録されています。このとき流された主の義の血潮は、不従順した人間の罪を贖われた血潮でありました。従って、私たちがこの血潮に拠り頼んだら神様に逆らって不従順する心から解放されて、従順の道に歩んで行くことができるようになるのです。

また、主の血潮は、私たちがすべての疾病から癒されたと叫んでいます。ピラトの庭に引き連れられて行かれたイエス様は、死刑を言い渡されて、ローマの軍人たちから鞭打ちに会われました。鞭に打たれた痕ごとに肉が裂かれ、口を開けた傷痕からは噴出す血で全身が真っ赤に血まみれになりました。聖書に、『しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。』(イザヤ書53:5)と記録されています。

イエス様がピラトの庭で鞭に打たれ、血を流されたのは、病に罹った人間の肉体を癒してくださるためでありました。ですから、イエス様の血潮がみわざを働かすところには癒しの川の水が満ち溢れるようになるのです。

それだけでなく、主の血潮は私たちが呪いから解放されたと叫んでいます。ローマの軍人たちはイエス様の頭にいばらの冠を被せ、手と足で殴りつけ、蹴りつけながらイエス様を嘲弄しました。いばらのとげに刺されたイエス様の頭から鮮血が流れ落ちて、御顔を染めました。この血潮は、アダムとエバがエデンから追い出され、顔に汗を流してこそ糧を得るようになった呪いから私たちを解放させてくれます。従って私たちは、貧乏と呪いから解放されて、祝福された人生を生きて行くことができるようになったのです。




お祈り

主である、父なる神様!罪の代価として死ぬしかない人生を、イエス様の尊い血潮によって不従順のくびきを免れ、解放されて、従順に聞き従う人生を生きるように導いてくださって有り難うございます。今日も、イエス様の血潮によって病が癒され、呪いから解放される祝福を、神様からいただいた人生となって暮らすように導いてください。 イエス様の御名によってお祈り申し上げます。アーメン!