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2月5日


■ 御答えをいただく祈りの核心

「創世記 32章24節〜28節」
32:24 ヤコブはひとりだけ、あとに残った。すると、ある人が夜明けまで彼と格闘した。
32:25 ところが、その人は、ヤコブに勝てないのを見てとって、ヤコブのもものつがいを打ったので、その人と格闘しているうちに、ヤコブのもものつがいがはずれた。
32:26 するとその人は言った。「わたしを去らせよ。夜が明けるから。」しかし、ヤコブは答えた。「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」
32:27 その人は言った。「あなたの名は何というのか。」彼は答えた。「ヤコブです。」
32:28 その人は言った。「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたは神と戦い、人と戦って、勝ったからだ。」




「創世記32章」に、ヤコブが命を懸けて祈る場面があります。彼はもものつがいがはずれるまでに神様と格闘した末に、ついに御答えを得るようになります。今日は、御答えを得ることができる祈りに関して、学ぼうと思います。

先ず、祈る時には確かな目標を立てて祈らなければなりません。祈りは、神様が私たちに与えてくださった御答えを得る鍵です。私たちはこの鍵で、神様の御心を動かすことができるようになるのです。

 ところが、忙しいということから祈りを等閑にするとか、長時間祈るからといってつまらない言葉を繰り返すとか、確かな目標なしに形式的に祈るとしたら、神様の御心を動かすことはできません。神様は、私たちが祈り求める前に既に私たちの求めることが何であるかを知っておられるのですが、私たちが確かな目標を立てて具体的に祈り求めるとき、もっと驚くほどの御答えを与えてくださるのです。

また私たちは、神様が私たちの祈りに間違いなく答えて下さる、という確信を持って祈らなければなりません。この確信を得るためには、何よりも「私は、神様の愛と恵みを受けている。」という信仰がなければなりません。これは、子供が父母の愛を信じているので、自分の望みを叶えてくれるはず、と確信してねだるのと同様なのです。

聖書に、『私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。』(ローマ8:32)と記録されています。ですから、私たちが祈るとき、目には何の徴も見えず、耳には何の音も聞こえず、手には触れるものが何もなくても、主の主であられ、愛の主であられる神様だけ信じて祈ったら、驚くほどの御答えを与えてくださるのです。

最後に、神様の御心に適う祈りを捧げなければなりません。祈りは、自分勝手なことを求め願うことではなく、神様の御心に自分自身を従わせることです。私たちがいくら確信を持って祈っても、神様の御旨に適しないことであったら、それは祈りと言うよりは、強情を張ることです。幼い子どもが剣をねだるからといって、剣を手渡してあげる父母はいません。同様に、神様も私たちの祈りが神様の御心に適うときに最善の方法で答えてくださるのです。

ですから、私たちは祈るとき、確かな目標を持って祈り、神様の愛を確信しながら、神様の御心に自分を委ねる祈りを捧げなければならないのです。




お祈り

愛であられる、わが父なる神様! 自分の悪知恵で生きて来たヤコブが、神様にだけ拠り頼む人に変化される祝福を受けるようになったことを見ました。私たちも、主中心に生きることができるように助けてください。 全知全能であられる、天の父なる神様! ヤコブの不退転の祈りのように、私たちも確かな目標を持って祈るように導いてくださり、間違いなく御答えを与えてくださる神様であることを信じ、確信を持って祈る私たちとなるように助けてください。イエス様の御名によってお祈り申し上げます。アーメン!