■主の御手に召されたら
「出エジプト記 31章1節〜6節」 31:1 主はモーセに告げて仰せられた。 31:2
「見よ。わたしは、ユダ部族のフルの子であるウリの子ベツァルエルを名ざして召し、 31:3 彼に知恵と英知と知識とあらゆる仕事において、神の霊を満たした。
31:4 それは、彼が、金や銀や青銅の細工を巧みに設計し、 31:5 はめ込みの宝石を彫り、木を彫刻し、あらゆる仕事をするためである。
31:6
見よ。わたしは、ダン部族のアヒサマクの子オホリアブを、彼のもとに任命した。わたしはすべて心に知恵のある者に知恵を授けた。彼らはわたしがあなたに命じたものを、ことごとく作る。」
人たちで満ちている部屋で、競売人が色々なものを競売にかけていました。ここで、一つの古びたバイオリンが競売にかけられました。その時、ある人が「1ペンス!」と呼ばわりました。そうするや人たちは爆笑しながら、“その値段で、その人にあげなさい。”と叫びました。実に、そのバイオリンは朽ちており、見る影もない古びたものでありました。
その時、競売人が「このバイオリンを、弾いてみてくださる方はおりませんか?」と聞きました。すると、一人の老人が壇上に上がって行って、そのバイオリンで絶妙な旋律を奏で始めました。人たちはその音律に感動を受け、涙を流す人も見えました。演奏が終わるや、部屋の中は激しい賞賛と拍手喝采で騒然となりました。
競売人は再び、そのバイオリンを手にして競売にかけました。価額が、5ポンド、10ポンド...、結局は100ポンドで落札されました。全く同じバイオリンでありましたが、大家の手で演奏されたからでありました。
このように、私たちも使い道がなく無気力な存在ですけれども、主の御手に乗せられたら偉大なことをしてのけることができるのです。
聖書に、『兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。』(コリント人への手紙第一1:26〜29)と仰せられているのです。
お祈り
全知全能で、愛であられる、父なる神様!聖所を建てるために召された人たちに、神様が聖霊充満と知恵深い心を与えられて立派に使命を果たすことができるようになさいました。私たちは全部、使い道もなく、無気力な存在であるとは知っておりますが、どうか私たちも主の御手に召されて、用いられるようになりたいです。家族みんなが自己中心から神様中心に立ち返り、主に用いられることができるように助けてください。イエス様の御名によってお祈り申し上げます。アーメン!
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