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3月5日


■義と聖潔の人生

「民数記 8章20節〜22節」
8:20 モーセとアロンとイスラエル人の全会衆は、すべて主がレビ人についてモーセに命じられたところに従って、レビ人に対して行なった。イスラエル人はそのとおりに彼らに行なった。

8:21 レビ人は罪の身をきよめ、その衣服を洗った。そうしてアロンは彼らを奉献物として主の前にささげた。またアロンは彼らの贖いをし、彼らをきよめた。

8:22 こうして後、レビ人は会見の天幕にはいって、アロンとその子らの前で自分たちの奉仕をした。人々は主がレビ人についてモーセに命じられたとおりに、レビ人に行なった。




旧約時代に、会見の天幕の中で奉仕するレビ人たちは自ら、罪の身をきよめ、衣服を洗い、アロンから贖いをしてもらって自分をきよめました。それでは、こんにち、聖徒さんたちはどうしたら神様の前で義としていただき、聖潔な人生を生きることができるでしょうか?

“義”とは、一生の間ただの1回も罪を犯していない状態を言い、神様の前に少しも良心に恥らうことがなく立つことのできる資格を言うのであり、悪魔の讒訴に会わない状態を言います。

人間がこのような義を受けることのできる道は、二つあります。その一つの方法は、律法を完全に守ることによって義を得ることであり、もう一つの方法は、イエス・キリストを信ずることによって義を得ることです。ところが「ガラテヤ人への手紙2章16節」を見ますと、『律法の行ないによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。』と記録されています。従って、どの誰も、イエス・キリストを信じないことには決して神様が要求なさる義に到達することができず、ひとえにイエス・キリストを信じることによって義の人となることができるのです。

それでは、聖潔に生きる秘訣は何でしょうか?アダム以来、自分の力量で聖潔に生きてきた人は誰もいません。人間の力では、肉の欲に打ち勝つことができないからです。ところが聖書は、私たちに聖潔な人生を生きることができる方法を提示してくれています。「ローマ人への手紙8章1節〜2節」に、『こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。』と記録しているのです。

従って、私たちがイエス・キリストにあって聖霊を充満に受ける時、私たちは罪と死の原理から解放され、肉の欲に打ち勝ち、聖潔な生活を営むことができるようになるのです。また、そのように暮らす時、神様との緊密な交わりが保たれ、神様が与えてくださる祝福と報償をいただくことができるようになるのです。




お祈り

聖く、愛であられる、わが父なる神様!義人はいない。一人もいない。神様の前ですべての人たちは罪人であることを、聖書を通して知っています。しかし神様は、イエス・キリストによって私たちを義の人としてくださり、神のみこころにより、キリスト・イエスにあるいのちの約束によって聖潔な人生を生きることができるようにしてくださって有り難うございます。主である神様!私たち家族が皆、毎日聖霊充満にあずかって、清潔な人生を生きて行けるように助けてください。 イエス様の御名によってお祈り申し上げます。アーメン!