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3月31日


■主よ。私はどうしたらよいのでしょうか

「使徒の働き 22章 7節〜10節」

22: 7 私は地に倒れ、『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。』という声を聞きました。
22: 8 そこで私が答えて、『主よ。あなたはどなたですか。』と言うと、その方は、『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスだ。』と言われました。
22: 9 私といっしょにいた者たちは、その光は見たのですが、私に語っている方の声は聞き分けられませんでした。
22:10 私が、『主よ。私はどうしたらよいのでしょうか。』と尋ねると、主は私に、『起きて、ダマスコに行きなさい。あなたがするように決められていることはみな、そこで告げられる。』と言われました。




聖書に、人生は「しばらくの間現われて、それから消えてしまう霧にすぎません。」(ヤコブの手紙4:14)と記録されています。


しかし、このような短い人生を生きる間にも、イエス・キリストに出会った人たちは偉大な働きをすることが出来ます。それでは、神様の子となった私たちが当然の事としてしなければならない事は何でしょうか?


まず、私たちはキリストとその福音を証しする証人として人生を生きなければなりません。使徒パウロは、主の御声を聞いてすぐ、“主よ。私はどうしたらよいのでしょうか?”と尋ねました。そのとき主は、アナニヤと言う敬虔な人を通してパウロに、主の御言葉を証しする‘証人の人生’を生きなさいと言われました。私たちの人生の中でもっとも価値のある働きは、主の証人となり、主の福音を地の果てにまで伝えることです。


また、私たちは神様を徹底的に信じる信仰を持って生きて行かなければなりません。私たちがこの世を生きながら信仰を持って生きていくという事は、この世の風習に従って暮らさず、聖別された道を歩み、神様だけを見上げながら歩んでいく人生を意味します。


また、信仰を持って生きる人生は、キリストが私たちのうちに生きておられる人生です(ガラテヤ2:20参照)。私たちがキリストにあって死に、キリストが私の内に生きておられるのがすなわち、信仰の人生です。


さらには、私たちは愛する人生を生きて行かなければなりません。イエス様は、『わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。』(ヨハネ15:12)と仰せられました。そして、『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』(マタイ22:39)とも仰せられました。


このような愛は、人間の力、または能力でできるものではありません。ひとえに、聖霊さまが私たちの内なる人を強くしてくださり、キリストの愛で私たちに積極的に勧めてくださる時にこそ、可能なのです。愛する人生こそ、もっとも価値のあるクリスチャンの人生であると言うことができるのです。




お祈り

聖く、愛であられる、わが父なる神様!神様は、全知全能なるお方です。霧に過ぎない短い人生を生きる中で、神様が喜ばれる人生がどういうものであるかを教えてくださって有り難うございます。神様が喜ばれる人生は、キリストの福音を証しする証人の人生であり、この世の風習に従って暮らさず、信仰を持って生きる人生であり、また神様の戒めに従ってすべてを愛しながら生きる人生であることを悟るように、お恵みをほどこしてくださって有り難うございます。毎日、私たち家族一同が神様の御心が何であるかを知り、立派に分別しながら、もっとも価値ある人生を生きていけるように助けてください。 イエス・キリストの御名によってお祈り申し上げます。アーメン!