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4月20日


■喜びながら暮らす生活

「ピリピ人への手紙 4章:4節」

4:4 いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。




喜びは、人間が大きなことを成就させることができるようにする原動力です。それで、自分の適性に合う職業に従事し、その職業のなかで喜びを得たら、その人は疲れることがなく、しかも大いなる能力を発揮することができるようになります。しかし、嫌な仕事を無理に継続したら、その人は直ぐに疲れ、くたびれてしまうようになります。それでは、私たちクリスチャンはどのような生活をしなければならないでしょうか?


まず、私たちはまことの喜びを追求する生活を営まなければなりません。第2次世界大戦当時、ドイツは支援が途絶えて、軍人たちに‘おがくず’(鋸屑)で作ったパンを食べさせました。‘おがくずのパン’は、外見上は小麦粉で作ったパンと変わりがありませんでしたが、何の栄養価もないので、このパンを食べた軍人たちは栄養失調にかかり、道端に倒れ始めました。


この世で得る喜びは、ちょうど‘おがくずのパン’を食べるのと同じです。それで肉体的な歓楽で得る喜びや、物質的に得られる満足、そして名誉とか権威のお陰で得るようになる喜びは、いくらも経たないで直ぐに消え去り、却ってその後には甚だしい後遺症だけが残るようになるのです。


また、私たちは健全な生活の喜びを所有しなければなりません。個人的な生活での喜びを得るためには、余暇を善用することができる健全な趣味を持たなければなりません。喜びとは、機械に油を注すのと同様です。私たちが家庭や仕事に追われて最小限の喜びまでも放棄するとしたら、結局は凄いストレスに見舞われて倒れてしまうに違いありません。喜びは、私たちの人生にあって付随的なものではなく、根本的なものなのです。従って私たちは、いつも健全な生活の潤滑油となる喜びを得るために、努力しなければなりません。


さらに、私たちはイエス様を救い主として迎え入れることによって、永遠の喜びを所有しなければなりません。イエス様にあって得る永遠なる喜びは、この世が与えてくれる喜びとは全く違う喜びです。イエス様が、『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。』(ヨハネの福音書14:6)と言われました。従って、イエス様を迎え入れることによって得るようになる喜びは、人生がどこから来て、なぜ生きており、どこに行くのかをはっきりと悟るようになることから得られる喜びです。


「ヨハネの福音書15章10節〜11節」に、イエス様が、『もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。』と言われました。


世の人たちは、この喜びを知りもせず、悟ることもできません。しかしイエス様を心の中に迎え入れている私たちは、この永遠なる喜びが心の中に溢れていますので、いつも喜びながら人生を生きていくことができるのです。




お祈り

聖く、愛であられる、わが父なる神様!毎日、私たちが喜びの生活をすることができるのは、真理の御霊が私たちの中に臨んでおられるからであることを信じます。永遠の喜びは、ひとえにイエス様のうちにあってだけ得ることができることを、私たち家族が皆、もっとはっきりと悟り、瞬時も忘れることがないように助けてください。そうして、イエス様を心の中に迎え入れている永遠の喜びが私たちの中から湧き溢れるようにお恵みをほどこしてください。 イエス様の御名によってお祈り申し上げます。アーメン!