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5月2日


■確信を投げ捨ててはなりません

「ヘブル人への手紙 10章35節〜39節」

10:35 ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。
10:36 あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。
10:37 「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。
10:38 わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。」
10:39 私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。




信仰を動かす決定的な力は、確信です。こんにち数多くの聖徒さんたちが信仰生活に失敗する理由は、心に確信を持つことができないからです。ヨシュアがイスラエルの民たちの指導者になった時、神様は、彼に『あなたがたが足の裏で踏む所はことごとく、わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたに与えている。』(ヨシュア記1:3)との約束と共に、『強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。』(ヨシュア記1:6〜9参照)と仰せられました。


私たちは、聖書を通して、神様の約束を堅く信じて心に確信を持ち、神様の約束を成就させていただいた信仰の人たちに会うことができます。その中で代表的な人物として、アブラハムを上げることができます。アブラハムは75歳の時に、神様から「あなたを大いなる国民とする。」との約束をいただきました。たとえ子を生むにはあまりにも老人でありましたけれども、彼は、その約束を信じ、確信して、神様がお告げになられた通りに出かけました。


これに対して聖書は、『彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。それは、「あなたの子孫はこのようになる。」と言われていたとおりに、彼があらゆる国の人々の父となるためでした。アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。』(ローマ人への手紙4:18〜21)と記録しています。


このように、堅固な信仰で心を守ることによって、アブラハムは100歳の時に息子イサクを得て、神様の約束が実現される体験をすることができました。


私たちは既に、イエス・キリストの十字架の血潮の贖いによって罪から義に、疾病から健康に、呪いと貧乏から幸いと裕福に、死から永遠の天国に移されるという約束をいただきました。この約束が私たち各々に成就されるためには、信仰の祖先たちのように私たちが神様の約束にしっかりと縋りついて、確信を持って信仰を実践しなければなりません。


私たちが信じることに確信を持って実践する時、神様の約束が私たちの人生の中で成就されるのです。




お祈り

愛であられ、聖き、わが父なる神様! ヨシュアに確信と大胆な信仰を持つようになさった神様は、私たちにも同様に、確信と大胆な信仰を持つようにみわざを働かせてくださり、お恵みをほどこしてくださることと信じます。私たち全家族が、動かされない確信と大胆な信仰で神様の約束の御言葉に縋りつき、どのような患難にも、どんな悪魔の誘惑にも負けずに、立派に克服し、大胆に信仰の道に歩んでいくことができるように助けてください。 イエス様の御名によってお祈り申し上げます。アーメン!