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5月29日


■積極的に勝たねばならない誘惑

「サムエル記 第二 11章:1節〜4節」
11:1 年が改まり、王たちが出陣するころ、ダビデは、ヨアブと自分の家来たちとイスラエルの全軍とを戦いに出した。彼らはアモン人を滅ぼし、ラバを包囲した。しかしダビデはエルサレムにとどまっていた。
11:2 ある夕暮れ時、ダビデは床から起き上がり、王宮の屋上を歩いていると、ひとりの女が、からだを洗っているのが屋上から見えた。その女は非常に美しかった。

11:3 ダビデは人をやって、その女について調べたところ、「あれはヘテ人ウリヤの妻で、エリアムの娘バテ・シェバではありませんか。」との報告を受けた。

11:4 ダビデは使いの者をやって、その女を召し入れた。女が彼のところに来たので、彼はその女と寝た。・・その女は月のものの汚れをきよめていた。・・それから女は自分の家へ帰った。




聖書には、アモンの首都ラバでイスラエルとアモンとの戦闘が続いている間、ダビデがウリヤの妻バテ・シェバと姦淫し、その犯罪事実を隠蔽するために陰謀を企てた内容が記録されています。ダビデは犯罪の隠蔽が失敗に終わるや、真っ向からウリヤを戦死するようにして、完全犯罪を企み(サムエル記第二11:14〜27参照)、預言者ナタンから叱責の言葉を聞いてから、悔い改めました(詩篇51篇参照)。

この世を生きている人であったら誰もが、様々な誘惑を受けながら生きて行きます。これは、クリスチャンであるからといって例外ではありません。私たちがこのような事実を知っていたら、あらゆる誘惑に適切に対処していくことができます。

罪は単純に、それ自体だけで存在するものではありません。罪の裏面には、ある衝動的な力があって、継続して罪を犯すように私たちを刺激し、私たちを誘惑します。ところが、もしもこれらを否定するとしたら、私たちはそのような衝動に勝ち抜くことができません。私たちがこのような罪の属性を正しく認識し、神様と人の前に自分を低くし、謙虚な姿勢を持つとき、罪の衝動的な力と誘惑を退けることができます。そして、お祈りを通して聖霊様の助けによって罪に打ち勝ち、勝利することができるのです。

アメリカのある若い使役者が、同性愛に対して強い誘惑と衝動を感じました。彼は衝動にかられるたび毎に何度も何度もその誘惑を退けましたが、それでも相変わらず衝動は断ち切ることができませんでした。そうしたある日、彼は何人か信頼できる友達だけ集まっているところで、自分の弱さを告白してから、彼はやっと勝利を経験することができました。

友達は彼のために祈りを捧げながら、愛をもって温かく彼を理解してくれました。彼が自分を謙遜にへりくだるようにするや、彼は罪に対する強い誘惑と衝動から自由を得ることができたのです。

誘惑は、私たちが神様の御心に従って生きて行くことができないように妨害します。しかし、誘惑は、私たちがますますもっと純粋な信仰を持った立派なクリスチャンになるように、訓練させてくれる手段になるときもあります。

ですから、私たちは誘惑に対して消極的に対処する姿勢を取らずに、かえって積極的に誘惑に敵対し、これを退けることによって勝利する人生を生きて行かなければならないのです。



お祈り

憐れみ深き、我らの父なる神様!

私たちの弱さを憐れんでくださることに感謝申し上げます。罪の誘惑が毎日、私たちに襲って参ります。聖霊さまの御助けをいただいて、いつも勝利する人生を生きて行けるように助けてください。

イエス・キリストの御名によってお祈り申し上げます。アーメン!