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6月1日


■神の報いを見つめる人生

「サムエル記 第二 22章21節〜25節」
22:21 主は、私の義にしたがって私に報い、私の手のきよさに従って私に償いをされた。
22:22 私は主の道を守り、私の神に対して悪を行なわなかった。
22:23 主のすべてのさばきは私の前にあり、そのおきてから私は遠ざからなかった。
22:24 私は主の前に全く、私の罪から身を守る。
22:25 主は、私の義にしたがって、また、御目の前の私のきよさにしたがって私に償いをされた。




ダビデは、彼の末年に周辺のすべての異邦民族を平定した後、自分をすべての敵の手とサウルの手から救ってくださった主である神様に、次のように賛美を捧げました。

『主は、私の義にしたがって私に報い、私の手のきよさに従って私に償いをされた。私は主の道を守り、私の神に対して悪を行なわなかった。主のすべてのさばきは私の前にあり、そのおきてから私は遠ざからなかった。私は主の前に全く、私の罪から身を守る。主は、私の義にしたがって、また、御目の前の私のきよさにしたがって私に償いをされた。』(本文21〜25)

ダビデは、一生涯の間神様を意識しながら暮らしました。彼はバテ・シェバと姦淫して、彼女の夫を戦場で死なせた罪と、末年に人口調査をして神様を怒らせたことを除いては、一生涯を神様の前で義を守り、正しく暮らした人でありました。今日の本文(奉読箇所)を見ますと、神様は、ダビデの義に従って彼に報われ、彼の手の聖さに従って償われた、と記録されていますが、これはダビデが、神様の道を守り、神様のおきてから遠ざからず、神様の前で罪から身を守る...人生を生きたからであると記されています。

ダビデは、公義の神様を信頼しながら、神様からの報いと償いを見つめる人でありました。神様は、慈しみ深い人には神様の慈しみを、完全な人には神様の完全を、聖い人には神様の聖さを、邪悪な人には神様の懲らしめを見せてくださり、正しい人は救われ、高慢な人は低くなさる、公義の神様なのです。

私たちがこの世を生きる間、義の道に歩み、聖く生きて行こうとするのは、勿論イエス・キリストの救いのお恵みに感謝するためでありますけれども、また私たちは、神様の報いと償いを期待するからなのです。もしも神様の審きがないとしたら、人たちは自分勝手に、放縦しながら、一生涯を生きて行くはずです。

しかし、私たちは旅人とか居留者のような人生の道を歩みながら、私たちの行為を火のような目で見つめておられる神様を、記憶しなければなりません。そして、神様が私たちの行為が善であろうと、悪であろうと、審かれるという事実を心に銘じて、いつも、神様が備えておかれた報いと償いを見つめる人生を生きて行かなければならないのです。




お祈り

全知全能であられる、我らの父なる神様!

火のような目で私たちを見ておられ、善悪ともに、私たちの行為に従って報いと償いをしてくださる神様に、賛美を捧げます。私たち家族がみな、いつも神様を意識し、信頼しながら、主の御心に従って生きて行くように助けてください。

イエス様の御名によってお祈り申し上げます。アーメン!