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6月7日


■光の中に留まりなさい

「ヨハネの手紙 第一 2章:5節〜8節」
2:5 しかし、みことばを守っている者なら、その人のうちには、確かに神の愛が全うされているのです。それによって、私たちが神のうちにいることがわかります。

2:6 神のうちにとどまっていると言う者は、自分でもキリストが歩まれたように歩まなければなりません。

2:7 愛する者たち。私はあなたがたに新しい命令を書いているのではありません。むしろ、これはあなたがたが初めから持っていた古い命令です。その古い命令とは、あなたがたがすでに聞いている、みことばのことです。

2:8 しかし、私は新しい命令としてあなたがたに書き送ります。これはキリストにおいて真理であり、あなたがたにとっても真理です。なぜなら、やみが消え去り、まことの光がすでに輝いているからです。




クリスチャンたちの中に、たまには世の人々から良い評判を聞けない場合がありますが、それは信仰と行動に差異があるからです。このような人々の二重的な姿は、イエス・キリストの御名を汚すようになり、教会に恥をかかせる事にもなります。ですからクリスチャンは、信仰と行動が一致する人生を通して、義を追求し、光の中で暮らさなければなりません。その理由は次の通りです。

イエス様は、私たちを暗闇の中から救い出して、光の子となるようにしてくださいました。「ローマ人への手紙4章25節」に、『主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。』と記録されています。

イエス様の十字架は、私たちの罪と刑罰が如何に大きく、重いかを説明しています。従って、「神様は愛であられるから、罪を犯しても、悔い改めたらすべて赦してくださるだろう。」と考えるのは、十字架の犠牲を勝手に理解した結果です。ですから、赦された私たちは、主の十字架を思いながら、毎日罪に対しては死に、よみがえられた主と共に光の中で生きて行かなければならないのです。

私たちが光の子として生きるためには、いつも、神様の御言葉に自分を映してみなければなりません。なぜなら、私たちに与えてくださった御言葉は、光と闇を分別する基準になり、人生の指針となるからです。「ヨハネの福音書14章21節」に、『わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。』と記録されています。神様が何を喜ばれ、何を憎まれるかは、神様の戒めを通して知ることができます。

十戒は、私たちに与えてくださった律法を集約したものです。第一の戒めから第四の戒めまでは、「神様の愛」に対するものであり、第五の戒めから第十の戒めまでは、「隣人への愛」に対するものです。そして、この十戒を集約したものがまさにイエス様の新しい戒めなのです。

ですから私たちクリスチャンは、神様を愛し、隣人を愛することに全力を尽くさなければなりません。私たちが光の子どもとして戒めを守っていく時、私たちを通してこの世の中にイエス・キリストのまことの光が照らされるようになるのです。




お祈り

聖き、我らの父なる神様!

主は、命の光であられます。私たちを暗闇から光の子どもとしてくださり、光となられる神様の御言葉で恵んでくださって有り難うございます。私たちが光の子どもとして、イエス・キリストの光を照らす使命を果たすことができるように助けてください。

イエス・キリストの御名によってお祈り申し上げます。アーメン!