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6月22日


■主の仕事をしているうちに疲れ果てる時

「列王記 第一 19章 1節〜5節」
19: 1 アハブは、エリヤがしたすべての事と、預言者たちを剣で皆殺しにしたこととを残らずイゼベルに告げた。
19: 2 すると、イゼベルは使者をエリヤのところに遣わして言った。「もしも私が、あすの今ごろまでに、あなたのいのちをあの人たちのひとりのいのちのようにしなかったなら、神々がこの私を幾重にも罰せられるように。」
19: 3 彼は恐れて立ち、自分のいのちを救うため立ち去った。ユダのベエル・シェバに来たとき、若い者をそこに残し、
19: 4 自分は荒野へ一日の道のりをはいって行った。彼は、えにしだの木の陰にすわり、自分の死を願って言った。「主よ。もう十分です。私のいのちを取ってください。私は先祖たちにまさっていませんから。」
19: 5 彼がえにしだの木の下で横になって眠っていると、ひとりの御使いが彼にさわって、「起きて、食べなさい。」と言った。




私たちは時々、主の仕事をしているうちに心身が疲れ果てる時があります。今日の本文(奉読箇所)を見ますと、旧約時代の最も優れた預言者であったエリヤまでも、神様の仕事をするうちに気を落としてしまい、疲れ果てたことを見ることができます。私たちはエリヤの場合を通して、主の仕事をするうち、どのような時に気を落としてしまい、疲れ果てるようになるかに関して教訓を得ることができます。

第1番目に、環境を見つめる時、気を落としてしまい、疲れ果てるようになります。エリヤは、バアルの預言者四百五十人と、アシェラの預言者四百人に対抗して大勝利を上げ、彼らをキション川で全部殺すほどに大胆で、堅固な信仰の人でありました。ところが、イゼベルが「もしも私が、あすの今ごろまでに、あなたのいのちをあの人たちのひとりのいのちのようにしなかったなら、神々がこの私を幾重にも罰せられるように。」(19:2)と言った一言に、恐れをなして逃げたのです。

第2番目に、感情にかたよる時、気を落としてしまい、疲れ果てるようになります。エリヤは、堅固な信仰の人でありましたが、一方、火のような性格の持ち主でもありました。彼は、雨が降るであろうという神様の御答えをいただいてから、神様が命令もしていないのに、アハブ王の車の前を素足で走る蛮勇をふるいました。

第3番目に、私たちの肉体をあまりにも酷使する時、気を落としてしまい、疲れ果てるようになります。エリヤは、素足でアハブ王の車の前をイズレエルまで、休まずに走って行ったので、肉体が極度に疲れました。からだの健康を害するほどに主の仕事をする時、気落ちしてしまい、疲れ果てることがあります。

第4番目に、霊的な驕慢に陥ったら、気を落としてしまい、疲れ果てるようになります。エリヤは、バアルにひざをかがめない七千人がイスラエルの中にいたのにも、イスラエルの中で主の約束を守り、バアルにひざをかがめない人は自分一人しかいない、と思いました(列王記第一19:14、18参照)。私たちが主の仕事をしながら、自分だけが熱心であり、自分だけが正しい思う驕慢に陥る時、落胆しやすいのです。

このように、気を落としてしまい、疲れ果てるようになる原因は、自分自身にあります。ですから、私たちは、気を落としてしまい、疲れ果てる時、自分がどこにかたより過ぎているか、を冷徹に反省し、中心を取り戻さなければなりません。そうする時、神様の慰めと回復させて下さるお恵みが臨むようになるのです。




お祈り

主であられる、父なる神様!

自分だけが正しく、自分だけが熱心に主の仕事に励んでいると思う自慢心を捨てるように助けてください。これから再び、新しい心で熱心を尽くし、主の仕事に励むことができるように導いてください。

イエス様の御名によりお祈り申し上げます。アーメン!