■二つの分け前の霊を受けた信仰
「列王記 第ニ 2章 1節〜14節」 2: 1
主がエリヤをたつまきに乗せて天に上げられるとき、エリヤはエリシャを連れてギルガルから出て行った。 2: 2
エリヤはエリシャに、「ここにとどまっていなさい。主が私をベテルに遣わされたから。」と言ったが、エリシャは言った。「主は生きておられ、あなたのたましいも生きています。私は決してあなたから離れません。」こうして、彼らはベテルに下って行った。
(…中略…) 2: 7 預言者のともがらのうち五十人が行って、遠く離れて立っていた。ふたりがヨルダン川のほとりに立ったとき、 2: 8
エリヤは自分の外套を取り、それを丸めて水を打った。すると、水は両側に分かれた。それでふたりはかわいた土の上を渡った。 2: 9
渡り終わると、エリヤはエリシャに言った。「私はあなたのために何をしようか。私があなたのところから取り去られる前に、求めなさい。」すると、エリシャは、「では、あなたの霊の、二つの分け前が私のものになりますように。」と言った。
2:10
エリヤは言った。「あなたはむずかしい注文をする。しかし、もし、私があなたのところから取り去られるとき、あなたが私を見ることができれば、そのことがあなたにかなえられよう。できないなら、そうはならない。」
2:11
こうして、彼らがなお進みながら話していると、なんと、一台の火の戦車と火の馬とが現われ、このふたりの間を分け隔て、エリヤは、たつまきに乗って天へ上って行った。
2:12
エリシャはこれを見て、「わが父。わが父。イスラエルの戦車と騎兵たち。」と叫んでいたが、彼はもう見えなかった。そこで、彼は自分の着物をつかみ、それを二つに引き裂いた。
2:13 それから、彼はエリヤの身から落ちた外套を拾い上げ、引き返してヨルダン川の岸辺に立った。 2:14
彼はエリヤの身から落ちた外套を取って水を打ち、「エリヤの神、主は、どこにおられるのですか。」と言い、彼が再び水を打つと、水が両側に分かれたので、エリシャは渡った。
預言者エリヤが、天に上げられる時が来ました。エリヤは天に上げられる前に、最後まで自分について来たエリシャに、彼の願い事が何であるかと尋ねました。するとエリシャは、「あなたの霊の、二つの分け前が私のものになりますように。」と答え、彼の願いの通りにエリヤの霊の二つの分け前を受けました。
このように、エリシャがエリヤの霊の二つの分け前を受けることができたのは、彼の信仰によるものです。それでは、エリシャの信仰は果たして、どのような信仰であったのでしょうか?
第1番目に、エリシャはギルガルの信仰を持っていました。ギルガルは、イスラエルの民たちがヨルダン川を奇跡的に渡った後、12個の石を持って来て記念碑を立て、最初に宿営した所です(ヨシュア記4章参照)。ギルガルの信仰は、神様の奇跡を信じ、神様を徹底的に信頼する信仰です。なぜ、こんにち、教会や聖徒たちの人生の中に神様の御力が現われないでしょうか。それは、神様の御力と奇跡を信じないからです。
第2番目に、エリシャはベテルの信仰を持っていました。ベテルは、アブラハムがカランを離れてカナンに行く途中、神様に最初の祭壇を築いた所です(創世記12章参照)。また、ヤコブが兄エサウを避けて逃げる時、神様から約束をいただいて祭壇を築いた所でもあります(創世記28章参照)。
ベテルの信仰は、祭壇を築き、神様から約束をいただく信仰です。私たちはどこで神様の約束をいただくことができるでしょうか?それは、十字架の下です。そこで私たちは、新生、聖霊充満、癒し、祝福、再臨の約束をいただくことができるのです。
第3番目に、エリシャは、エリコの信仰を持っていました。エリコは、カナンの地に入る関門です。イスラエルの民たちがエリコの城を崩す時、黙々と七日間、城の周りを回りました。このように、エリコの信仰は苦難を忍耐し、黙々と従順する信仰です。
第4番目に、エリシャは、ヨルダンの信仰を持っていました。ヨルダン川はイエス様とヨハネの弟子たちがバプテスマを受けた川です。ヨルダンの信仰は、自分の古い人が死に、キリストにあって新しい人となる信仰です。人格と人生が変化される信仰がまさにヨルダンの信仰です。
このように、私たちが神様の奇跡を信じ、祭壇を築き、約束をいただき、その約束が成就されるまで、黙々と従順する時、私たちの人生が変化され、エリヤの二つの分け前の神様の霊が臨むようになるのです。
お祈り
愛であられる、我らの父なる神様!
私たちの信仰も、エリシャのように神様の奇跡を信じ、祭壇を築き、従順に聞き従う信仰となるように助けてください。それを通して、神様がくださるエリヤの二つの分け前の霊と聖霊で満ち溢れるように祝福してください。
イエス様の御名によりお祈り申し上げます。アーメン!
|