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8月3日


■悲しみが変わって喜びに

「エステル記 9章:22節」
9:22 自分たちの敵を除いて休みを得た日、悲しみが喜びに、喪の日が祝日に変わった月として、祝宴と喜びの日、互いにごちそうを贈り、貧しい者に贈り物をする日と定めるためであった。




人たちは、映画や運動競技を観覧する時逆転劇が展開されたらとても痛快に思います。ところが、このような痛快な逆転劇が聖書の信仰人物たちのなかで数多く現われます。今日の御言葉(エステル記9章)のなかに登場するエステルとモルデカイは、「悲しみが喜びに、喪の日が祝日となり」「禍転じて祝福となる日」を体験しました。

彼らの敵ハマンは、ユダヤ人たちを皆殺しにしようと策略しましたが、かえってユダヤ人たちは栄光を得、ハマンとその一味は滅びに会うようになったのです。それでは、エステルとユダヤ人たちは艱難を通してどのような幸いを得るようになったでしょうか?

まず、平安を享受するようになりました。エステルは王妃になってからも、自分の身分を明らかにすることができませんでした。また、モルデカイはハマンによって絶えず迫害と身辺の脅威を受けなければなりませんでした。しかし、神様がハマンの陰謀と迫害を廃されて、ユダヤ人たちにいのちを与えられることによって全ユダヤ人が驚くべき平安を享受することができるようになったのです。

また、尊敬される栄光を得るようになりました。艱難に会う前にモルデカイは、国を失い、ペルシヤに捕虜となって囚われていった多くの異邦人の一人に過ぎませんでした。しかし、艱難を通して彼は尊敬されるようになり、アハシュエロス王の次の位の権威者になったのです。

それだけでなく、物質の祝福もいただきました。王はハマンを処刑した後、ハマンの財産を国庫に没収せずにエステルに与えることによって、彼に慰めを与えたのです。

このように神様は、極限の艱難と鍛錬をかえって祝福していただく機会に変えてくださる、有り難い方なのです。信仰のない人たちは、良いことが近付いて来たら口を大きく開けて笑いながらも、試練が襲って来たらすぐに恨みと失意に落ち込んでしまいます。しかし、神様のお召しに従順に聞き従った人たちは、大いなる悲しみと試練の中でも喜ぶことができます。それは、艱難の中でも喜びと希望を与えてくださる神様を信じるからです。

ですから、私たちは艱難に襲われた時、「これは、神様が私たちに与えてくださる祝福の前奏曲なのだ!」と信じて、感謝しながら、益々神様に近付いて行かなければなりません。そうしたら、神様は、私たちを艱難に会う以前よりももっと栄光で祝福された人生に変えてくださるのです。




お祈り

ハマンがすべてのユダヤ人を皆殺しにしようとする時、エステルを通して救ってくださいました。悲しみが喜びに、絶望が希望に、呪いが祝福に変化される奇跡を施してくださいました。私たちが神様の愛をもっと深く悟り、敵に逢っても怖がらず、大胆に祈りながら、神様にだけ拠り頼むように助けてください。

イエス・キリストの御名によってお祈り申し上げます。アーメン!