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8月8日


■まことの慰労者

「ヨブ記 16章 1節〜5節」
16: 1 ヨブは答えて言った。
16: 2 そのようなことを、私は何度も聞いた。 あなたがたはみな、煩わしい慰め手だ。
16: 3 むなしいことばに終わりがあろうか。 あなたは何に興奮して答えるのか。
16: 4 私もまた、あなたがたのように語ることができる。 もし、あなたがたが私の立場にあったなら、私はことばを連ねてあなたがたを攻撃し、あなたがたに向かって、頭を振ったことだろう。
16: 5 私は口先だけであなたがたを強くし、私のくちびるでの慰めをやめなかったことだろう。




極度の苦難の中に置かれていたヨブを慰めるために訪ねて来た3人の友、エリファズとビルダデとツォファルは、ヨブを慰めるどころか、かえってヨブを罪に定めながら、責めました。これに対して、ヨブは彼らに、『あなたがたはみな、煩わしい慰め手だ。』と言いながら、彼らの忠告を断りました。それでは、私たちが苦難に直面している人たちに必要な、まことの慰労者となるためにはどうすればいいでしょうか?

第1番目に、苦難の中にいる人と心を共にする方法を知らなければなりません。苦難に会っている人にもっとも必要なのは、心を共にして自分を理解してくれ、苦難を一緒に分かち合ってくれる人です。私たちが苦難に会っている人と心を共にするためには、相手の立場になって考えるようにならなければならないのです。

イエス様も、人間たちと苦しみを共に分かち合うために、親しく人の姿を着てこの地に来られ、あらゆる苦難と苦痛を体験なさいました。それで、イエス様が私たちを助けることがお出来になられたのです(ヘブル人への手紙5:8〜9参照)。

第2番目は、苦難に会っている人に勇気と希望を与えることができなければなりません。私たちがまことの慰労者になろうとするなら、苦難に会っている人と共に苦しみを分かち合うことだけでは足りません。彼に生きる勇気と希望を与えることができなければならないのです。

私たちが、イエス様を通して希望と勇気を得ることができる理由は、イエス様が十字架を通して、私たちに罪の赦しの希望と、聖霊充満の希望、癒しの希望、富裕の希望、永遠なる命と天国の希望を与えてくださるからなのです。

このように、私たちがまことの慰労者となるためには、時にかなう言葉と実際的な助けで、苦難に会っている人に希望と勇気を与えなければならないのです。

第3番目には、苦難に会っている人のために、祈ってあげることができなければなりません。私たちは苦難に会っている人が、神様の御心にふさわしく行うことによって、すみやかに苦難に打ち勝って勝利を収めることができるように、絶えず祈ってあげなければなりません。

罪と呪い、絶望と悲嘆、疾病と死で、苦難の目に会っている私たちを訪ねて来られて、私たちのまことの慰労者となってくださったイエス様を模範として、主にあって私たちも、苦難に会っている隣人のまことの慰労者とならなければならないのです。




お祈り

まことの慰労者となってくださったイエス様!

人の姿をとってこの地に来られ、私たちと喜怒哀楽を共にしてくださって感謝申し上げます。私たちの中におられるイエス様を模範として、私たちも苦難に会っている隣人たちにまことの慰労者となることができますように助けてください。

イエス・キリストの御名によってお祈り申し上げます。アーメン!