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9月13日



■祝福された義人

「詩篇 92篇:1節~7節」
92:1 主に感謝するのは、良いことです。いと高き方よ。あなたの御名にほめ歌を歌うことは。
92:2 朝に、あなたの恵みを、夜ごとに、あなたの真実を言い表わすことは。
92:3 十弦の琴や六弦の琴、それに立琴によるたえなる調べに合わせて。
92:4 主よ。あなたは、あなたのなさったことで、私を喜ばせてくださいましたから、私は、あなたの御手のわざを、喜び歌います。
92:5 主よ。あなたのみわざはなんと大きいことでしょう。あなたの御計らいは、いとも深いのです。
92:6 まぬけ者は知らず、愚か者にはこれがわかりません。
92:7 悪者どもが青草のようにもえいでようと、不法を行なう者どもがみな栄えようと、それは彼らが永遠に滅ぼされるためです。




人間は、最初、創造される時から神様が与えてくださる祝福と恵みを享受しながら生きるように造られました。ところが、祝福の代わりに呪いと患難と悲しみで満ちた人生を生きるようになったのは、最初の人、アダムが神様に逆らい、神様の御言葉を捨てたからです。しかし、私たちが主を信じて、神様に真心から仕えたら、失った祝福の座を再び取り戻すことができます。それでは、どのような人が祝福された人でしょうか?

第1番目に、主の御名を賛美し、ほめたたえる人です。ダビデの信仰が偉大であると言われるのは、彼がどのような状況に置かれていても、一生の間、神様に感謝と賛美を捧げたという点です。本文の詩篇の記者も同じく、「主よ。あなたは、あなたのなさったことで、私を喜ばせてくださいましたから、私は、あなたの御手のわざを、喜び歌います。」(92:4)と神様を賛美しましたが、このように神様を賛美することは、聖徒として当然のことであり(詩篇33:1、イザヤ書43:21参照)、神様の恵みと喜びと祝福を受ける秘訣です。

私たちが神様をほめたたえ、賛美を捧げる時、私たちの霊の奥深い所からまことの喜びが湧き上がり、私たちのために備えてくださった神様の祝福が、私たちの人生の中に満ち溢れるまでに現れるようになるのです。

第2番目に、罪人の道に立たない人です。罪とは、神様の道から外れた行為を言います。間違って射た矢は的に当たることができずに逸れてしまうのと同じく、神様に仕えず、神様の栄光のために生きることをしない、「逸れた人生」がまさに罪人の人生なのです。幸いであり、祝福される人はこのような人とは同行しません。罪を日常的によく犯す悪人は、悪者どもが青草のようにもえいでようとも、不法を行なう者どもがみな栄えようとも、彼らは永遠に滅ぼされるのです(92:7)。

ですから、神様の恵みによって義となった私たちは、罪人の道から離れ、神様の戒めを正しく守っていく時、まことに祝福される人となるのです。




お祈り

愛であられる、父なるわれ等の神様!

幸いである人は罪人の道に立たず、悪人の集いに混じらない、と仰せられました。私たちは祝福された義の人たちでありますので、今日も神様を賛美しながら、神様の戒めを守りながら、誠実な人生を生きるように助けてください。

イエス様の御名によりお祈り申し上げます。アーメン!