教会のお説教神様の知恵袋教会音楽道しるべ教会リンク集





10月8日



■まことの希望がある人生

「箴言 23章17節~19節」
23:17 あなたは心のうちで罪人をねたんではならない。ただ主をいつも恐れていよ。
23:18 確かに終わりがある。あなたの望みは断ち切られることはない。
23:19 わが子よ。よく聞いて、知恵を得、あなたの心に、まっすぐ道を歩ませよ。




世の中の人々は、耐えがたい苦しみに会うとか、漆黒のように暗い絶望に落ち込んだ時、全ての希望を失って無力になります。しかし、聖徒はそのような時にも希望を失いません。聖徒が臨終の時に、安らかな心で微笑みながら目を閉じることができるのも、永遠なる天国に対するまことの希望があるからです。それでは、このようにまことの希望を持った聖徒は、どのように生きなければならないでしょうか?

第1番目に、罪人の幸いを妬んではなりません。「妬む」という言葉の元の意味は、「あるものを憧れ、それを得るために頑張る。」と言うことです。この世の人々が偽りを欲しいままにし、悪い行動をするにもかかわらず、彼らが幸いを得ているようである時、それを見て妬むとか、羨ましがることは、まことの希望を持った聖徒の姿勢ではありません。

罪人たちの幸いは、むしろ神様の刑罰であることがあります。聖書は、「悪い者には良い終わりがなく、悪者のともしびは消えるから。」(箴言24:20)と警告しているからです。まことの希望を持った聖徒は、永遠なる天国を見上げながら、この世の中での一時的な幸いを妬まず、正直で誠実に生きて行かなければならないのです。

第2番目に、いつも神様を畏敬しながら生きて行かなければなりません。聖徒はたとえ信仰を持って生きていますが、罪の性質が完全になくなったのではないのですから、いつもこの世の様々な誘惑に陥る危険に直面して生きていきます。このように、私たちの心を惑わせることが世の中にはいくらでもあるのですから、私たちはいつも目を覚まして祈ることにより、霊的な分別力と洞察力を持って生きて行かなければなりません。

まことの希望を持った聖徒は、世俗的な考えと肉体的な欲求を毎日、十字架に釘付けながら、自分を徹底的に神様に服従させなければなりません。使徒パウロは、「しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。」(ガラテヤ人への手紙6:14)と告白しました。

第3番目に、御言葉を通して知恵を得、心を正しい道に導かなければなりません。私たちの心に神様の御言葉がなく、私たちの考えが神様の御言葉と知恵によって導かれない時、私たちの心は世俗的な考えと肉体的な欲求に占領されてしまします。

ですから、まことの希望を持っている聖徒は、どのような状況の中でもいつも主の御言葉を持って思いと考えを訓練させ、正しい道に向かうようにしなければならないのです。





お祈り

まことの希望であられる、我らの父なる神様!

漆黒のように真っ暗い絶望の中に落ち込んだとしても、罪人が幸いを得たことを妬まず、ただ神様だけを畏敬し、御言葉を通して知恵を得、思いと考えが正しい道に歩むように導いてください。

イエス様の御名によりお祈り申し上げます。アーメン!