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10月12日



■楽しむことを許された祝福

「伝道者の書 5章:18節~20節」
5:18 見よ。私がよいと見たこと、好ましいことは、神がその人に許されるいのちの日数の間、日の下で骨折るすべての労苦のうちに、しあわせを見つけて、食べたり飲んだりすることだ。これが人の受ける分なのだ。
5:19 実に神はすべての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し、自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。
5:20 こういう人は、自分の生涯のことをくよくよ思わない。神が彼の心を喜びで満たされるからだ。




私たちが、神様から祝福を受けることに劣らず重要なことは、いただいたその祝福を楽しむことです。祝福をいただくことと、いただいたその祝福を楽しむこととは全く別個の問題です。「伝道者の書6章2節」を見ますと、『神が富と財宝と誉れとを与え、彼の望むもので何一つ欠けたもののない人がいる。しかし、神は、この人がそれを楽しむことを許さず、外国人がそれを楽しむようにされる。これはむなしいことで、それは悪い病だ。』と記録されています。

いくら大いなる祝福をたくさんいただいたとしても、それを楽しむことができないとしたら、いただいたその祝福が何の有益にもならないのです。それでは、私たちが神様からいただいた祝福を楽しむという御言葉は、果たしてどのような意味を含んでいるのでしょうか?

第1番目に、苦労する中で、楽しみを享受することです。私たちが飲み食いするために働く事ができるということは、神様からいただいた祝福です。しかし、いのちの日数の間、私たちが働き、苦労ばかりすることは神様の御心ではありません。神様は、私たちが働き、苦労する中で、私たちが働いて得た実を各々が楽しむようにと願っておられます。

神様が私たちに仕事を与えてくださったのは、その仕事を通して神様の御心を成就し、また私たちがその仕事から得た実を楽しむようになさるためなのです。

第2番目に、神様が与えてくださった祝福を楽しむという言葉には、神様に対する絶え間ない感謝が含まれています。神様が与えてくださったその祝福に対して感謝することは、その祝福に対する神様の主権を認めることです。このように、神様が祝福してくださったということを認め、与えてくださったその祝福に対して、神様に感謝する人だけが祝福を楽しむことのできる資格がある人となるのです。

第3番目に、未来のことを、神様に一切委ねて生きることです(20節)。私たちが神様の祝福を楽しみながら生きるということは、私たちの人生のすべてのことを神様に全面的に委ねて、喜びながら生きるということを意味します。

私たちが神様から与えていただいた祝福を楽しむことができる時、まことの祝福をいただいたと言えます。ですから、私たちが苦労した仕事の実を楽しみながら、与えてくださった祝福に感謝し、将来のことを神様に完全に委ねることによって、神様からいただいた祝福を楽しむことができる信仰の人たちとならなければなならないのです。





お祈り

愛であられる、全能なる我が神様!

世の人々の、骨折りと苦労は無駄な実となるのですが、神様との関係が回復された私たちには、神様が与えてくださったすべてが完全な祝福となります。これからはますます、まことの満足を楽しみながら、主にもっと感謝する人生を生きて行くように助けてください。

イエス様の御名によりお祈り申し上げます。アーメン!