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10月21日



■神様を待ち望みなさい

「イザヤ書 25章:9節」
25:9 その日、人は言う。「見よ。この方こそ、私たちが救いを待ち望んだ私たちの神。この方こそ、私たちが待ち望んだ主。その御救いを楽しみ喜ぼう。」




私たちの信仰生活にあって、主を待ち望むと言うことはとても重要です。待ち望むということは、神様に対する私たちの愛と信仰と希望の証拠であるからです。それでは、果たして神様を待ち望む人の姿勢はどのようでなければならず、その待ち望むことの結果は何でしょうか?

第1番目に、神様を待ち望む人は、全てのことに耐え忍び、神様だけを見上げなければなりません。「詩篇37篇7節」は、『主の前に静まり、耐え忍んで主を待て。おのれの道の栄える者に対して、悪意を遂げようとする人に対して、腹を立てるな。』と記録しています。

このように、神様を待ち望む人の姿勢は、常にすべてのことに耐え忍び、ただ信仰の完成者であるイエス様から目を離さないことです(ヘブル人への手紙12:2参照)。

第2番目に、将来近づいて来る栄光を考えながら、希望の中で待たなければなりません。世の人々は幸せな時には喜び、苦しみが近づいて来ると悩みます。しかし聖徒は、患難の中でも喜ぶことができる秘密を持っている人たちです。それは、患難自体が好きであるからではなく、その患難によって更に大きな希望を持つことができるからです。

ですから、信仰によって義とされた私たちは、将来近づいて来る神様の栄光を見上げながら、患難の中にあっても喜びながら待たなければなりません。患難が忍耐を、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すからです(ローマ人への手紙5:1~4参照)。

「ローマ人への手紙8章18節」を見ますと、『今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。』と記録されています。

第3番目に、最後まで待ち望む人は結局、神様の救いを味わうようになります。「哀歌3章25節~26節」に、『主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに。

主の救いを黙って待つのは良い。』と記録されています。神様は、主を見上げ、待ち望む者から決して目をそむけず、必ず会ってくださり、主の救いを見せてくださるのです。

ですから、私たちがどのような環境に置かれようとも、いつも神様を見上げ、執拗な信仰で、患難の中でも忍耐しながら主を待ち望み時、主の救いを体験するようになるのです。





お祈り

苦難の中でも共に居てくださる、我らの父なる神様!

どのような患難の中にいても、神様を待ち望み、全てのことに耐え忍び、栄光の中におられる神様の救いを体験するように助けてください。

イエス様の御名によりお祈り申し上げます。アーメン!