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10月29日



■渇いている者よ、水を求めて出て来い

「イザヤ書 55章 1節~2節」
55: 1 ああ。渇いている者はみな、水を求めて出て来い。金のない者も。さあ、穀物を買って食べよ。さあ、金を払わないで、穀物を買い、代価を払わないで、ぶどう酒と乳を買え。
55: 2 なぜ、あなたがたは、食糧にもならない物のために金を払い、腹を満たさない物のために労するのか。わたしに聞き従い、良い物を食べよ。そうすれば、あなたがたは脂肪で元気づこう。




今日の本文(奉読箇所)の「1節」に、『渇いている者はみな、水を求めて出て来い。金のない者も。さあ、穀物を買って食べよ。さあ、金を払わないで、穀物を買い、代価を払わないで、ぶどう酒と乳を買え。』と記録されています。私たちはこの御言葉の中で、私たちの霊的、精神的な飢渇と喉の渇きを解決することができる、三つの処方を知ることができます。

第1番目に、本文には、『渇いている者はみな、水を求めて出て来い。』と記録されています。水は命の源泉です。私たちの肉体が水がなしには存在することができないのと同じく、私たちの魂も、水がなしには生きることができません。それでは、この「水」は、何を意味するのでしょうか?これはまさに、「永遠の命」を意味します。永遠の命は、ひとえに私たちの主イエス・キリストを救い主として受け入れる時にのみ、得ることができます。イエス様は、『わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。』(ヨハネの福音書7:38)と仰せられました。

スカルの町のサマリヤの女を通して、私たちは、この事実を確認することができます。夫を五人も代えながら生きて来ましたが、人生の渇きが解消されないのでさまよっていた、スカルの町の井戸端の女は、イエス・キリストに会って永遠の命を得るや否や、人生の渇きを解消し、心の深い奥底から流れ出る喜びと平安を得るようになったのです(ヨハネの福音書4章参照)。

第2番目に、本文は『ぶどう酒を買え。』と記録しています。このぶどう酒は聖霊のぶどうを意味します。心の中に悩みがいっぱい満ちている世の人々は、悩みを振り捨てるために酒を飲み、世の様々な誘惑と快楽を追求します。しかし、そのようなこと等は、しばらくの間悩みを忘れさせるだけで、根本的な悩みと思い煩いを解決することはできません。ひとえに私たちは、主が与えてくださる聖霊のぶどう酒を飲む時に魂の渇きが解消され、まことの喜びと楽しみを享受することができるようになるのです。

第3番目に、本文は『乳を買え。』と言われました。子供が乳を飲んで大きく成長するように、私たちの魂は霊的な乳を飲んで成長します。霊的な乳はまさに、神様の御言葉です。神様の御言葉は、私たちの霊的な糧なのです。

ですから私たちが、神様の御言葉を喜びとして毎日食べ、昼も夜も口ずさみながら生きる時、私たちの魂は水路のそばに植えられた木のようになり、何をしても栄えるようになるのです(詩篇1:1~3参照)。






お祈り

おりにかなった恵みを施してくださる、我らの父なる神様!

私たちを霊的な飢渇から解消されるようにしてくださり、私たちの心の奥底から生ける水が流れ出るようにしてくださって、本当に有り難うございます。イエス様のお恵みによって、永遠の命を得た私たち家族が、いつも命の水の川のほとりに宿ることができるように助けてください。

イエス・キリストの御名によってお祈り申し上げます。アーメン!