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11月23日



■行った通りに審く神様

「エゼキエル書 7章:1節~4節」
7:1 ついで、私に次のような主のことばがあった。
7:2 「人の子よ。イスラエルの地について神である主はこう仰せられる。『もう終わりだ。この国の四隅にまで終わりが来た。
7:3 今、あなたに終わりが来た。わたしの怒りをあなたのうちに送り、あなたの行ないにしたがって、あなたをさばき、あなたのすべての忌みきらうべきわざに報いをする。
7:4 わたしはあなたを惜しまず、あわれまない。わたしがあなたの行ないに仕返しをし、あなたのうちの忌みきらうべきわざをあらわにするとき、あなたがたは、わたしが主であることを知ろう。』」




今日の本文(奉読個所)の御言葉は、イスラエルに恐ろしい災いが近づいていることを預言しています。この災いによってイスラエルは完全に滅亡し、罪悪に対する審きが始まり、隠された罪も明らかに露出するようになるのです。この日は、慟哭と悲しみの日であり、泣き声が地上に満ち溢れる日であり、神様が知恵と公義によって悪を行った者たちを懲罰なさる日です。この悪を行った者たちは、世の終わりにある筈の最後の審きの時のように神様の審きの座の前で、自分の唇で自分の行いを白状し、それに従って審きを受けます。

預言者エゼキエルは、「もう終わった。」と叫びながら、エルサレムの人々に対する神様の審きが近づいたことを宣布しました。エゼキエルが宣布した「終わり」という言葉は、イスラエルの忌み嫌うべき悪の終わりを言ったのであり、また、神様の忍耐に対する限界を指して言ったのです。

私たちは、全てのことがいつも同じく反復されると思う時があります。悪い人たちは、自分たちの罪に対する応報無しに生きて行けると信じ、良い人たちは、良い行いに対する何の代価も得られないと感じることもあります。しかし、そうではありません。私たちが生きているこの時代は、終末に向かって休みなく走っていますし、その最後はすぐに来るのです(ペテロの手紙第一13:10参照)。

罪の中で暮らしたイスラエルの民たちは、最後の日に災いを経験するようになります。異邦の神々に供え物を捧げた高い所では、荒れ狂う騒動が起こるようになります。終わりの時に、人々は自分の行った通りに実を刈り取るようになります。神様が、人々各々が行った通りに審くようになると言うことは、聖書の御言葉全体に流れる主題でもあります。

従って、私たちが拠り頼るところとは、私たちのすべての罪を負ってくださったイエス様だけです。しかし、イエス様に拠り頼らない人は、自分のすべての罪を自ら背負わなければなりません。ですから、私たちはこの救いの福音を、未だに知らない隣の人々に伝えて上げなければならないのです。





お祈り

真実であられ、憐れみ深き、我らの父なる神様!

主の時計がゆっくり動くとしても、人生の終末は近づいて来ます。全ての人たちが神様の御前に立つようになる時、各々自分の行った行い通りに審きを受けます。主である神様!私たち家族が良いものを蒔くようにしてくださり、真理であられるイエス様を隣の人々に伝え、私たちが皆審きを免れ、救われるように導いてください。 

イエス様の御名によりお祈り申し上げます。アーメン!