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12月8日



■ダニエルの願い

「ダニエル書 9章17節~19節」
9:17 私たちの神よ。今、あなたのしもべの祈りと願いとを聞き入れ、主ご自身のために、御顔の光を、あなたの荒れ果てた聖所に輝かせてください。
9:18 私の神よ。耳を傾けて聞いてください。目を開いて私たちの荒れすさんださまと、あなたの御名がつけられている町をご覧ください。私たちが御前に伏して願いをささげるのは、私たちの正しい行ないによるのではなく、あなたの大いなるあわれみによるのです。
9:19 主よ。聞いてください。主よ。お赦しください。主よ。心に留めて行なってください。私の神よ。あなたご自身のために遅らせないでください。あなたの町と民とには、あなたの名がつけられているからです。




今日の本文(奉読個所)には、ダニエルが自分の民族の罪を悔い改めながら、神様に祈り願う内容が記録されています。今日は、このようなダニエルの祈りを通して、私たちが教わるべき祈りに対する教訓を悟りたいと思います。

第1番目に、祈りは、私たちの義に拠り頼んで捧げるものではなく、神様の大きな憐れみに拠り頼んで捧げなければなりません。私たちの行いがいくらきれいであったとしても、私たちの義は“ぼろ”に過ぎないのです。このような私たちの義をもっては、決してお恵みの御座の前に出て行くことはできません。

ですから、私たちが拠り頼まなければならないのは、イエス・キリストの血潮の義しかないのです。「コリント人への手紙第一1章30節」に、『しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。』と記録されています。

イエス様の血潮を主張しながら祈る時、その祈りは、力ある祈りとなることができるのです。

第2番目に、今日の本文「19節」を見ますと、私たちの願いの内容を大きく三つに分けて提示しています。それは、「主よ。聞いてください。主よ。お赦しください。主よ。心に留めて行ってください。」です。これは私たちが祈る時、先ず神様に、祈りを聞いてくださるように願わなければならず、罪を赦してくださるように願わなければならず、私たちのすべての願いを聞いてくださる神様に、行ってくださることを願わなければならない、と言うことを教えています。

私たちは普通に祈る時、「主よ!主よ!主よ!」と、3回呼ばわってから祈ります。この時、「主よ、聞いてください!主よ、赦してください!主よ、心に留めて行ってください!」と言う意味を含めて呼ばわるとしたら、益々意味が濃厚な祈りになるのです。

第3番目に、祈りが答えられるのは、私たちの為ではなく、根本的に主の御名の為なのです。本文「19節」の下半分を見ますと、ダニエルは、「私の神よ。あなたご自身のために遅らせないでください。あなたの町と民とには、あなたの名がつけられているからです。」と、祈っています。

ダニエルは、神様がイスラエルの民たちに答えてくださって、救いのみわざを成就なさったら、それは即ち、神様ご自身の為になることではないでしょうか、と言いながら、主の為にも遅らせないでください、と祈り求めました。

ですから、私たちには神様の御名が関連していると言う事実を悟って、その神様の御名とその栄光の為に祈り願う時、私たちの祈りは神様の御座を揺り動かすことのできる、力ある祈りになるのです。祈りに対する御答えの目的は、私たちを通して主の御名と主の栄光が現れるようにすることである、と言うことを覚えていなければなりません。





お祈り

お恵み豊かで、慈しみ深い、我らの父なる神様!

イエス・キリストの義に頼って願う祈りをすべて聞いてくださり、御答えを与えてくださり、それらを行ってください。すべての祈りの御答えが、神様の栄光となるようにみわざを働かせてください。

イエス様の御名によりお祈り申し上げます。アーメン!