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12月12日



■二心を抱いてはならない

「ホセア書 10章:1節~3節」
10:1 イスラエルは多くの実を結ぶよく茂ったぶどうの木であった。多く実を結ぶにしたがって、それだけ祭壇をふやし、その地が豊かになるにしたがって、それだけ多くの美しい石の柱を立てた。
10:2 彼らの心は二心だ。今、彼らはその刑罰を受けなければならない。主は彼らの祭壇をこわし、彼らの石の柱を砕かれる。
10:3 今、彼らは言う。「私たちには王がない。私たちが主を恐れなかったからだ。だが、王は私たちに何ができよう」と。




今日は、神様から祝福していただいて繁栄するようになるや、神様から離れたイスラエルの民族を叱責なさる神様の御言葉を通して、いくつかの教訓を得たいと思います。

第1番目に、すべての豊かな祝福と素晴らしい恵みは、神様から来るものであると言うことです。本文(奉読箇所)を見ますと、イスラエルは「多くの実を結ぶよく茂ったぶどうの木であった。」と描写されています。私たちの力では、どのような良い実も結ぶことができません。私たちの人生に豊かな祝福と素晴らしい恵みを与えてくださって、美しい実を結ぶことができるようになさる方は神様です。ですから、私たちはいつも、神様の恵みに感謝しながら生きて行かなければなりません。

イスラエルの民族が、ヤロブアム王の時代に享受した富貴と繁栄は、神様からの贈り物でありました。それにも拘わらず、彼らは自分たちの力でそのような祝福をもたらしたものと錯覚して、神様に感謝しようとしなかったのです。このように、朽ちることのない神様の恵みを、朽ちる人間の功労の代価に取り替えてしまった結果、イスラエルの民たちは神様の怒りを受けるようになったのです。

第2番目に、二心を持つ者は、神様の怒りを買うと言うことです。イスラエルの民たちは、彼らの繁栄をバアルの神が祝福してくれた結果である、と思いました。それで、形式的には唯一の主である神様に祈りましたが、実は、異邦の神を崇拝することによって神様を騙していたのです。私たちもこのように、二心を持つ場合が少なくありません。私たちが人間と神様、或いは物質と神様、名誉と神様、地位と神様など…、二つ心を抱いて暮らす時が多いのです。

第3番目に、すべてのことにおいて主である神様を認め、ひとえに神様だけを見つめながら生きる生活を営まなければならない、と言うことです。良いことであろうが、悪いことであろうが、何事にも、私たちに迫ってくるすべてのことにあって主を認めたら、主が私たちの人生を導いてくださいます(箴言3:6参照)。

また、私たちは信仰の主であり、完全にしてくださる方であるイエス様から目をそらしてはなりません(ヘブル人への手紙12:2参照)。重要なのは祝福ではなく、その祝福を与えてくださる神様であるのです。

数多くの聖徒さんたちが、神様に呼ばわり、祈り求めて御答えをいただいたら、いつのまにか、神様を忘れてしまい、神様が与えてくださった祝福に心を奪われてしまいます。しかし、私たちの信仰の焦点を常に神様に合わせていてこそ、神様から喜んでいただくことができるのです。

ですから、私たちは心の中から、神様と対峙する勢力どもを果敢に抜き捨てて、ひとえに神様だけに焦点を合わせて生きるように努力しなければならないのです。





お祈り

豊かな恵みと素晴らしい祝福を与えてくださる、我らの父なる神様!

イスラエルの民たちのように、二心を抱いて神様の怒りを買うような、愚を犯さないように助けてくださり、人生の焦点を神様にだけ合わせて、さらなる潤沢な人生を生きることができるように導いてください。

イエス様の御名によりお祈り申し上げます。アーメン!