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12月14日



■患難の日に呼び叫ぶ祈り

「ヨエル書 2章:12節~14節」
2:12 「しかし、今、──主の御告げ──心を尽くし、断食と、涙と、嘆きとをもって、わたしに立ち返れ。」
2:13 あなたがたの着物ではなく、あなたがたの心を引き裂け。あなたがたの神、主に立ち返れ。主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださるからだ。
2:14 主が思い直して、あわれみ、そのあとに祝福を残し、また、あなたがたの神、主への穀物のささげ物と注ぎのぶどう酒とを残してくださらないとだれが知ろう。




今日の本文(奉読箇所)は、私たちが患難に遭った時、どのように神様に立ち返らなければならないのかに関して教えてくれています。

第1番目に、私たちは患難に遭った時、心を引き裂き、痛く罪を告白して、悔い改めなければなりません。本文

「13節」を見ますと、『あなたがたの着物ではなく、あなたがたの心を引き裂け。あなたがたの神、主に立ち返れ。』と記録されています。心を引き裂きながら罪悪の道を捨てて、神様中心に立ち返ることが悔い改めです。聖徒さんは、患難に遭って絶望の深い谷を歩く時、心を引き裂き、痛く悔い改めて、主に立ち返らなければならないのです。

第2番目に、私たちは患難に遭った時、断食しなければなりません。患難の日に、楽な所で腹いっぱい食べながら、『主よ!主よ!』と主に祈り求める人は、神様から御答えを得ることはできません。断食の祈りをすると言うことは、肉体の命のための飲食物の摂取をやめて、必死的に神様に関心を傾けることです。断食する時には、飲食物の摂取を断つと共に娯楽を禁じ、人と争わないなどの「行為の断食」も並行しなければなりません。

これに対して、「イザヤ書58章6節~7節」に、『わたしの好む断食は、これではないか。悪のきずなを解き、くびきのなわめをほどき、しいたげられた者たちを自由の身とし、すべてのくびきを砕くことではないか。飢えた者にはあなたのパンを分け与え、家のない貧しい人々を家に入れ、裸の人を見て、これに着せ、あなたの肉親の世話をすることではないか。』と記録されています。

このように断食をしながら、凶悪に縛られている人、重いくびきを負っている人、飢えた者、さ迷う人、裸の人たちに善を施し、父母兄弟の世話をする時、これがまことの断食となるのです。このような断食には、『そのとき、暁のようにあなたの光がさしいで、あなたの傷はすみやかにいやされる。あなたの義はあなたの前に進み、主の栄光が、あなたのしんがりとなられる。そのとき、あなたが呼ぶと、主は答え、あなたが叫ぶと、「わたしはここにいる」と仰せられる。』(イザヤ書58:8~9)と言われた神様の約束が伴います。

第3番目に、私たちは患難に遭った時に、心を一つにして祈らなければなりません。心を一つにして捧げる祈りは、神様の偉大な御力を体験するようになります。聖書は、『どうして、ひとりが千人を追い、ふたりが万人を敗走させたろうか。』(申命記32:30)と記録しているのです。私たちの中の一人は弱いのですが、私たちが一つとなり、連合して捧げる祈りの力は強いのです。私たちが患難の日に心を一つにして祈る時、神様の救いの大いなる御力が現れるようになるのです。

このように、私たちが患難に遭った時に、悔い改めの祈り、断食の祈り、心一つにした祈りを通して、神様に呼ばわり、叫び、祈り、求めたら、患難を克服し、神様の驚くべきお恵みを体験することができるようになるのです。





お祈り

慈しみと憐れみ深き、我らの神様!

患難に遭った時、私たちが心を引き裂き、悔い改め、断食しながら祈り、求めて、神様の慈しみと憐れみをいただくことができるように、家族全員が心を一つにして祈りを捧げるように導いてください。

イエス様の御名によりお祈り申し上げます。アーメン!