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12月16日



■主を求めて生きよ

「アモス書 5章 4節~8節」
5: 4 まことに主は、イスラエルの家にこう仰せられる。「わたしを求めて生きよ。
5: 5 ベテルを求めるな。ギルガルに行くな。ベエル・シェバにおもむくな。ギルガルは必ず捕え移され、ベテルは無に帰するからだ。」
5: 6 主を求めて生きよ。さもないと、主は火のように、ヨセフの家に激しく下り、これを焼き尽くし、ベテルのためにこれを消す者がいなくなる。
5: 7 彼らは公義を苦よもぎに変え、正義を地に投げ捨てている。
5: 8 すばる座やオリオン座を造り、暗黒を朝に変え、昼を暗い夜にし、海の水を呼んで、それを地の面に注ぐ方、その名は主。




イスラエル王国は、ヤロボアム王の時代に豊穣と繁栄で富みました。しかしその豊穣と繁栄は甚だしい華奢と放縦につながり、何よりも主である神様に礼拝を捧げることよりも偶像を崇拝することによって、神様の目の前に罪を犯すようになりました。本文(奉読個所)を通して、アモス預言者はイスラエルの民たちに向かって、神様の審きを避けてまことの人生の道を求め歩むように叫び、呼びかけています。

私たちが、まことの人生の道に入って歩むためには、何よりも先ず主である神様を求めながら生きなければなりません。これは、命の根源が神様であるからです。神様を離れた人生には、決して平和も命も存在することができません。

「エレミヤ書2章13節」に、『わたしの民は二つの悪を行なった。湧き水の泉であるわたしを捨てて、多くの水ためを、水をためることのできない、こわれた水ためを、自分たちのために掘ったのだ。』と言われている如く、神様が居られない豊穣とか繁栄とかは、こわれた水ための水のようなものですので、私たちは命と平和の根源であられる神様を尊び、主として崇めながら生きて行かなければならないのです。

これがためには、私たちはあらゆる偶像を捨てなければなりません。本文「5節」に、『ベテルを求めるな。ギルガルに行くな。ベエル・シェバにおもむくな。』と言われています。ベテルやギルガルやベル・シェバは、当時偶像崇拝の中心地でありました。偶像は偽りものであり空しいものでありますので、それらを崇拝する人は決して、まことの平安とまことの命を所有することはできないのです。

こんにち、私たちは神様よりももっと愛し、もっと崇拝する数多くの偶像を持っております。私たちは、このような偶像を叩き壊して捨てなければなりません。私たちが全幅的に神様を信頼し、神様だけに仕える時、まことの命と平和を得ることができるのです。

また、神様にお会いしてまことの人生を生きる力を得るがためには、神様の公義を実践しなければなりません。本文「7節」を通してアモスは、イスラエルの民たちに向かって、『公義を苦よもぎに変え、正義を地に投げ捨てている。』と責めています。彼らは、公義を変質させて、便法と不義が乱舞する社会を作ってしまいました。このような社会と国家は、神様の審きを免れることができず、必然的に滅ぶようになるのです。

ですから、私たちクリスチャンは、この世に神様の公義を正しく立てることによって、光と塩の役割を果たさなければならないのです。

 このように、私たちが人間的な様々な貪欲と偶像を捨てて、心から神様を求めて生き、神様の御言葉に従順に聞き従って正しく生きて行く時、神様は私たちにまことの命と祝福を満ち溢れるまでに注いでくださるのです。





お祈り

まことの命の道に導いてくださる、我らの父なる神様!

神様がおられない人間の人生は、まことの命も平安もない、壊れた水ためのようなものです。私たち家族一同が、貪欲と偶像を捨てて、心から神様を求めて生きながら、まことの命と祝福を得ることができるように助けてください。

イエス様の御名によってお祈り申し上げます。アーメン!