教会のお説教神様の知恵袋教会音楽道しるべ教会リンク集





12月19日



■審きを招いた愚かな錯覚

「ミカ書 3章 9節~12節」
3: 9 これを聞け。ヤコブの家のかしらたち、イスラエルの家の首領たち。あなたがたは公義を忌みきらい、あらゆる正しいことを曲げている。
3:10 血を流してシオンを建て、不正を行なってエルサレムを建てている。
3:11 そのかしらたちはわいろを取ってさばき、その祭司たちは代金を取って教え、その預言者たちは金を取って占いをする。しかもなお、彼らは主に寄りかかって、「主は私たちの中におられるではないか。わざわいは私たちの上にかかって来ない。」と言う。




預言者ミカが活動していた当時、イスラエルの民の首領たちは公義を忌み嫌い、賄賂を貰っては判決を曲げる不正・不義を犯しました。また、預言者たちはお金を取って占いをして上げ、祭司たちは代金が貰えなかったら教えない、と言った罪を犯しました。それにも拘わらず彼らは、自分たちに対してとんでもない錯覚に溺れていました。この事実に関して詳しく知り、神様の御教えを分かち合いたいと思います。

第1番目に、彼らは、自分たちが主である神様に拠り頼んでいると錯覚していました。神様が、預言者ミカを通して与えられる警告にもかかわらず、霊的に耳が遠くなっていた首領たちと、祭司たちと、預言者たちは、自ら神様に拠り頼んでいると公言しておりました。しかし実際には、彼らが拠り頼んでいたのはお金でありました。主である神様のために献身するよりは、自分たちの肉体的安逸と快楽をもっと追求したしたのです。これによって、彼らは神様の審きを自ら招く愚を犯しました。

第2番目に、彼らは、主である神様が自分たちと共にいてくださるのだ、と錯覚していました。勿論、神様は罪人たちを救うがために親しく罪人たちのところへ訪ねて来られて、彼らと共にいてくださるお方です。しかし、イスラエルの指導者たちは、神様の恵みに与っている者たちであり、当然のことながら神様に感謝し、畏敬しなければならない位置にありながらも、心の中に主を迎え入れず、かえって罪を犯す、大変に間違った人生を暮らしていました。それで神様は、彼らに審きを下されたのです。

第3番目に、彼らは、災いが自分たちには臨まない、と錯覚していました。神様が、預言者ミカを通して、上は社会及び宗教の指導者たちから、下は一般の民たちに至るまで、審きがあることを警告なさったにもかかわらず、偽預言者たちは、神様からの災いが決して下らない、と大言壮語しました。

災いは、罪を犯した民たちに下される神様の公義の審きです。ところが、彼らが神様の審きがあることを悟ることができなかったのは、現在の安逸と快楽が彼らの霊的分別力を妨げたからです。ですから私たちは、霊的にいつも目を覚ましていて、神様中心の生活を営まなければならないのです。





お祈り

公義をもって審かれる、我らの父なる神様!

私たちが、イスラエルの指導者たちのように、唇と形式だけで神様に仕える信仰の偽善者たちではないでしょうか?現実の、安逸で豊かな生活に霊的に目がくらみ、耳が遠くなっているのではないでしょうか?愛であられる、我らの神様!霊的にいつも目を覚ましている私たち家族となるように助けてください。

イエス様の御名によってお祈り申し上げます。アーメン!