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12月23日



■主にあって感謝しなさい

「ハバクク書 3章:17節~19節」
3:17 そのとき、いちじくの木は花を咲かせず、ぶどうの木は実をみのらせず、オリーブの木も実りがなく、畑は食物を出さない。羊は囲いから絶え、牛は牛舎にいなくなる。
3:18 しかし、私は主にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう。
3:19 私の主、神は、私の力。私の足を雌鹿のようにし、私に高い所を歩ませる。指揮者のために。弦楽器に合わせて。




誰でも平安な時には、よく感謝をします。しかし、激しい逆境にぶつかり、絶望的な問題たちが襲いかかる時には、神様に感謝する人はそんなにいません。極度の苦難な立場に置かれた時、神様に感謝する人こそ、まことのクリスチャンです。それで、今日は感謝の信仰に関して御言葉を通してお恵みを分かち合いたいと思います。

第1番目に、私たちは極度の苦難の中でも、主である神様にあって感謝しなければなりません。預言者ハバククは、自分の民族の状況を、花を咲かせないいちじくの木、実を実らせないぶどうの木、実りがないオリーブの木、食物を出さない畑と、羊がいない囲い、そして、牛がいない牛舎であると描写しました(3:17)。一言で言えば、自分の民族が荒廃し、絶望の中に置かれている、と言ったのです。

しかし、彼はそのような状況にありながらも、主にあって喜ぼう、と宣言しました(3:18)。なぜなら、神様は慈しみ深い方ですから、時が来たら必ず、自分の民族を救ってくださると信じたからです。ですから、私たちは極限の苦難の中にあっても信仰の創始者であり、完成者であるイエス様から目を離さずに(ヘブル人への手紙12:2)、救いの主のうちにあって感謝しなければならないのです。

まことの感謝の信仰は、パウロとシラスを通して教わることができます。彼らは福音を伝える途中に、人たちからひどく殴られ、遂には牢屋に閉じ込められましたが、それを喜び、嬉しく思いながら、獄舎の中で神様に感謝と賛美を捧げました。その賛美がどれほどお恵みに満ちたものであったのか、凶悪な囚人たちも静かに声を殺して聞き入りました。その時突然、大地震が起こり、獄舎の土台が揺れ動き、たちまち扉が全部開いて、みんなの鎖が解けてしまいました(使徒の働き16:26参照)。

皆さんは現在、どのような絶望の獄舎に入れられているでしょうか。今、その獄舎の中で恨み、不平を口に出したら、もっと大きな苦しみに押しつぶされてしまいます。そのような時であるほど、神様を賛美してください。そうしたら、神様がその絶望の獄舎を壊してくださり、崩壊させてくださって、苦しみの鎖を解いてくださるはずです。

第2番目に、私たちは、平凡な生活の中で感謝を捧げなければなりません。過去にあって苦労をし、色々と苦難を味わった人は、現在平凡な人生を生きながらも、それに対して感謝するようになります。お腹がすいて泣いたことのある人が、お腹いっぱいに食べる時に感謝するようになり、家がないので悲しんだことのある人が、自分の家をもつようになった時に感激するのです。

私たちの日常生活は、外見では平凡なもののように見えますが、事実は、神様の驚くべき恵みの中で成されているのです。ですから、私たちはその恵みに対して絶えず感謝しなければなりません。そうする時、私たちの信仰に生動感と活力が溢れて、もっと大きな祝福を得るようになるのです。





お祈り

喜びと恵みを与えてくださる、我らの神様!

預言者ハバククの告白のように、私たちに苦しみと逆境が押し寄せてきても、神様にあって感謝するように導いてください。問題を見つめないようにしてくださり、良いもので満たしてくださる神様を見つめながら、喜び、感謝するように助けてください。

イエス様の御名によりお祈り申し上げます。アーメン!