教会のお説教神様の知恵袋教会音楽道しるべ教会リンク集






「新しい千年はこう暮らしましょう」
 






■聖書箇所

「ローマ人への手紙 13章11節〜14節」
13:11 あなたがたは、今がどのような時か知っているのですから、このように行ないなさい。あなたがたが眠りからさめるべき時刻がもう来ています。というのは、私たちが信じたころよりも、今は救いが私たちにもっと近づいているからです。
13:12 夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。
13:13 遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活ではなく、昼間らしい、正しい生き方をしようではありませんか。
13:14 主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。




今日、私は皆さんと共に『新しい千年はこう暮らしましょう。』という題目で、御言葉を分かち合いたいと思います。

もう、私たちは1999年を軽く飛び越えて、西暦2000年代に入って参りました。20世紀を過ぎて21世紀に入って来たと言う事は、人類歴史上、あまりにも画期的な事であり、想像を超越した「輝かしい人生の変化」に向かうようになった事を意味します。

私たちが踏み入った未知の千年を前にして、これからどのように生きて行くべきか、じっくりと考えてみないわけにはいかなくなりました。それでは、私たちは近づいて来たこの「新しい千年」をどのような心構えで生きて行かなければならないでしょうか?




第一、神の国とその義とをまず第一に求めながら暮らしましょう

第1番目に、「神の国とその義とをまず第一に求めながら」新しい千年を生きて行かなければなりません。着物の「ボタン」を初めから閉め間違えると、終わりまで着物が歪み、しわが寄り、からだにピタッと合いません。「初ボタン」から注意深く閉めなければなりません。

私たちクリスチャンも、先にする事と、後にする事を混同したら、人生全体が歪み、間違いだらけになるようになります。ですから、神様が私たちに指示なさった御言葉通りに、「まず、神の御国」を求めなければなりません。皆さん!神の御国には、神様が御座に座っておられ、イエス様がその右側におられます。

使徒ヨハネが、パトモスと言う島で神様の啓示をいただいた時、天の門が開かれ、「ここに上れ。」と言う大きな声を聞いて天に上るや、真っ先に見えたのが神様の御座であり、御座に着いておられる神様でありました。そして、四つの生き物と二十四人の長老が神様の前にひれ伏して、神様に礼拝を捧げる場面を見ました。

このように、神の御国を求めると言う事は、私たちが生活する中で神様に礼拝を捧げ、讃美する生活をまず第一に営まなければならないと言う事です。私たちの生活全体が、神様に礼拝を捧げ、感謝し、讃美する心で満たされていなければならないのです。「ヨハネの黙示録 4章11節」を見ますと、『「主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。あなたは万物を創造し、あなたのみこころゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから。」』とほめたたえています。

また、私たちが何よりも先に神様に仕え、神様の前に献身・奉仕しなければなりません。「ヨハネの福音書 12章26節」を見ますと、『わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいる所に、わたしに仕える者もいるべきです。もしわたしに仕えるなら、父はその人に報いてくださいます。』と記されています。神様に仕える人を、神様が貴重に思って下さるのです。

私は、教会に来るたびに、私たちの教会の執事さんたちが向こうの道端にまで出て行って、寒さをものともせずに熱心に交通整理しているのを見る時、彼らこそ心を尽くし、思いを尽くし、まことを尽くして神様に仕え、献身的に奉仕しているのだと感謝しています。このような方たちを神様が貴重に思われ、愛して下さるのです。神の御国とその義とをまず第一に求める生き方が、まさにこのような生き方なのです。

そして、私たちは神様に栄光を帰す生活をしなければなりません。「コリント人への手紙 第一 6章20節」を見ますと、『あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。』と記しています。私たちは、私たちのからだを持って神様に栄光を帰しながら暮らすことが、神の国をまず第一に求めることになるのです。

それで私たちは、私たちの生活の中にまず神様の御国がいつも臨んでおり、神様の御国のおきてに従順に聞き従うことが私たちの生活の中心にならなければなりません。神様に礼拝を捧げ、感謝し、神様に仕え、献身・奉仕することを先にしながら、神様に栄光を帰す生活をする事が神の御国を求めることなのです。

そして、神様の義をまず第一に求めなさいと言われました。神様の義とは、私たちの主イエス・キリストを言うのです。いつもイエス様に仕えながら暮らすことが、神様の義を求めることです。イエス様であったら、どうなさるであろうか?これをいつも考えながら、私たちは人生を生きて行かなければなりません。

この世には、罪の誘惑が如何に多いか判りません。教会の外に出たら、罪悪の風、世俗の風が私たちに吹き捲ってきます。そのような時ごとに、私たちはいつも、私たちの生きて行くべき道を選択しなければなりません。どうのように選択すべきでしょうか?神様の義をまず第一に求めながら選択しなければなりません。神様の義をどのように求めたら良いでしょうか?それは、イエス様が今ここに居られるとしたら、どうなさるだろうか?いつも、この質問をして見ることです。

イエス様が居られて、イエス様が選択なさるその道を私たちが従い歩む時、神様の義を求めることになるのです。この世の生活の現場で、私たちはいつもイエス様が歩んで行かれたその足跡に従って暮らすことが、神様の義を求めることです。私たちには憎しみが満ちており、どこへ行こうと紛争に揉まれます。そんな時に、私たちは断固として自分を否認し、イエス様の正義を探さなければなりません。

イエス様であったら、このような時にどうなさるであろうか。それを質問してみて、良心に響いて来る答えに従って私たちは暮らさなければならないのです。

「エペソ人への手紙 4章22節〜24節」を見ますと、『その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、またあなたがたが心の霊において新しくされ、真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。』と記しています。私たちはイエス・キリストの真理に基づいて、新しい人を身に着て生きて行くことが、神様の義を求めることになるのです。




第二、熱心に福音を証しする生活をしなければなりません

第2番目に、私たちは、新年には熱心に福音を証しする生活をしなければなりません。父なる神様と御子イエス様と助け主聖霊様の最大の関心事は、たましいを救うことです。皆さん!2000年を迎えて全世界がウキウキしています。全世界が祝祭の場になっています。人たちは、近づいて来る科学的発展と物質的豊饒と生活の便宜に対して興奮しています。

しかし、神様の関心はその様なところにはありません。この世と、この世にあるものは瞬く間にみな消え去ってしまうからです。私たちの父なる神様の最大の関心は、私たちの主イエス・キリストが宣べ伝えられ、キリストを信じて人類がみな救われることなのです。イエス様の最大の関心は、ご自分が十字架に釘付けられ、身を裂き血を流すことによって代価を払って買い取った人類が、一人でももっと多く悪魔の暗闇から救い出されて、明るみに入って来ることです。また聖霊様の最大の関心は、教会を通してイエス・キリストの福音が宣べ伝えられることです。

聖三位一体の神様の最大の関心が、キリストの福音を証しすることです。「使徒の働き 1章 8節」を見ますと、『しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。』と記されています。

ですから、新年に私たちは、熱心に福音を証しする証人とならなければなりません。不信仰の人たちに、さばきの炎が近づいて来ています。もう暫くしたら、永遠に火に焼かれる地獄に落ち込むようになります。私たちは、彼らを見て黙っていることが出来ません。彼らが私たちの言うことを聞こうが聞くまいが、「あなたがたは、既に火のさばきに入って来ています。悔い改めて、イエス様を信じ、さばきの火から救い出されるようにして下さい。」と勧めなければならないのは、当然なことです。

「あなたのたましいが、盗み殺されて、滅びかけています。早く目を醒まし、悔い改めて下さい。イエス様を信じて下さい・・・。」と、言って上げなければならないのです。滅亡の巨大なさばきが近づいて来ています。洪水のように渦巻きながら押し寄せて来ています。早く退避させなければなりません。

「たましいの救い」が忙しくなって来た事を知らせる警告の兆しが、全天地に満ちています。去年、トルコ(土耳古)を始めとして至る所に地震が起こりました。聖書に、世の終わりが近づいたら方々に地震が起こると記されています。神様のさばきが近づいて来たのです。同じく去年の12月末頃には、ヨーロッパに吹き捲った台風によって死亡者が100人を超える緊急事態が発生しました。この台風は、未だかってなかった強度をもって地球を強打しました。

もっとも被害が大きかったフランスでは、死亡者が70余人にも及んだと言われ、南西部にあるベルサイユの宮殿は「ルイ14世」の時に建てられたもので、今まで国際的行事に使用され、今は美術館として公開されていますが、ここの庭園樹1万本が根っから引き抜かれました。このような事をそのまま見過してはいけません。巨大な台風や暴風雨が吹き捲って人間の文明を反古にしてしまったということは、神様のさばきが、この世に既に始まって来たことを警告するものです。

「コリント人への手紙 第一 15章56節」に、『ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。』と記されています。三位一体の神様が、私たちに福音を伝えなさいと言われた「切なる頼み」を、私たちが無視して生きることはできません。

「マタイの福音書 28章19節〜20節」を見ますと、『それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。』と記されています。

私たちはこの神様の切実な御心に聞き従って、今年のうちに韓国全地に「五百の教会」を建てることに決定して、"伝道局"を新設しました。そして教会を開拓すべく「主のしもべたち」を訓練させながら、主の御心を成そうと万般の準備をしています。私たちは寝ても覚めても主のわざに励まなければなりません。これが三位一体の神様の最大の関心事ですから、新年には一人残らず、時が良くても悪くても、人たちが聞こうが聞くまいが、私たちはみなキリストの証人とならなければならないのです。




第三、祈りに努める新しい千年としましょう

第3番目には、祈りに努める新しい千年にならなければなりません。祈りは、たましいが目を醒ましているようにします。祈らなければ、世の中の惑わしの眠りに落ち込んでしまいます。祈らなかったら、目を醒ましていることができません。世俗の惑わしがどんなに強いか判ません。TVを通して、インターネットを通して、映画、新聞、雑誌を通して世俗が私たちの中に洪水のように押し寄せて来て、私たちの関心を引っ張って行きます。

TVは「私に関心を傾けなさい」、若い人たちにはインターネットが「私に関心を持ちなさい」、映画館では「私に関心を注ぎなさい」と、世の中が挙って人類の関心をキリストの外に引っ張って行こうとします。このような迷妄から私たちが目を醒ますためには、祈る道しかありません。

『身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。』(ペテロの手紙 第一 5章 8節〜9節)と、聖書に記録されています。

悪魔の根強い迷妄から生き残るためには、私たちは毎日、信仰でひざまずき、祈らなければなりません。祈りは、聖霊充満に与かるようにしてくれるからです。聖霊は天の御国の呼吸です。聖霊充満に与かれば、私たちに天の御国が臨むようになります。天の御国にあって目を醒まし、天の御国に関心を持つようになるのです。世の中が全部、悪魔の汚染で満たされています。悪魔の汚染を呼吸している人たちは、世俗で満たされています。悪魔の汚染を取り除いて、天の新鮮な風を呼吸するためには祈らなければなりません。

ですから皆さん!祈らないことには、私たちの信仰をこの新しい千年に維持することができないのです。祈りは、悪魔の誘惑や讒訴※を撃退する唯一の私たちの武器です。聖書「ヤコブの手紙 4章 7節」に、『ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。』と記されています。

また、私たちが祈ってこそ、天と地を造られた神様の「見えない御手」が動くのです。世の人たちは、自分の知識や知恵や聡明、又は理性で計画して生きて行く事ができると考えます。しかし、人間の生・死・禍・福とか、人類の歴史は「見えない神様の御手」が動かすのです。

神様の御手が見えないので、人間は生意気に神様を除いて、何事でも自分勝手にできるものと考えますが、運命の決定は「見えない神様の御手」がなさるのです。この「見えない神様の御手」を誰が動かしますか。聖徒たちの祈りを通して、この神様の御手が動くのです。「エレミヤ書 33章 2節〜3節」に、『「地を造られた主、それを形造って確立させた主、その名は主である方がこう仰せられる。わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。」』と記されています。

ですから、皆さん!祈りは、私たちを神様に近づかせ、私たちを神様のみもとに導く、偉大な神様の摂理となるのです。

※讒訴(ざんそ):(他人をおとしいれるため)目上の人や主人に、ありもしない事を告げること。讒言(ざんげん)して訴え出ること。




第四、「新しい千年」には愛と和解に率先しましょう

第四番目に、私たちは「新しい千年」を愛と和解に率先する年としなければなりません。

愛は、自分の利益を求めません。愛はいつも共同体を考えます。こんにちの私たちの社会的共同体をご覧下さい。自分の家の便利だけのために、ゴミをひそかにお隣の家とか、公共の場所に捨てます。お隣の家の前に、公共の場所に、ゴミが山のように積まれます。自分の家にはゴミが積まれないからそれで良し、ほかの所にゴミが積まれるのは自分の知ったことではない、と言った恐ろしい個人主義・・・。

又は、廃水放流を見てください。雨が降り、洪水にでもなったら、工場では産業廃水を不法に無断放流します。漢江に、洛東江に、錦江に・・・、この時とばかりに無闇に流し捨てます。その廃水で、すべての魚類がみな死にます。ところが、その廃水を国民たちが飲みます。自分はお金を稼ぐためにひそかに産業廃水を放流して、ほかの人たちは重金属を飲んでガンにかかろうが、死のうが、知ったことではない。自分だけ良かったらそれで構わないんだ、とした大変な利己主義が澎湃※しています。

一方、横丁や路地ごとに自動車が勝手に駐車されています。火災が起こっても消防車が入ることができません。自分だけ便利であったら、それで良いのです。自分の車だけ駐車できたら、他人の車はどうであろうと構わないのです。誰かが文句でも言うようなら、何だと?と言いながら、「拳」が先に飛び出します。

公共施設をご覧下さい。公共施設物を破損したり、取り壊したりすることに至っては有名です。自分個人のものでないから、どうだって良いじゃないか。気に食わないとぶち壊します。共同のお手洗いや水道や、公園にある公共施設を何でもぶち壊します。自分の物でないから、構わないと言うのです。

皆さん!このような生き方をしたら、自分も、他人も、みな滅びます。私たちは、同じ一つの船に乗っているのです。自分が座っている所には水が入って来ないから安全である、と思ったら大変なことになります。他の所に穴があいたら船が沈没します。私たちは「大韓民国」という一つの船に乗っているのですから、愛と和解をもって、自分一人の利益を求めずに、公共の有益を考えなければなりません。これが、我が韓国に切実に必要なものです。

ソウルのある水産市場で「塩漬け水産物」を売っている'ユ・ヤン・スン'と言うお婆さんは、1983年から16年間、3億ウオン相当の本を孤児院と小学校に送り、某大学校には10億ウオンを寄附しました。そのお婆さんは、「私が食べず、着る物に気を使わないことで他の人が幸福になれる、と思ったら胸が熱くなります。」と言われました。私たちはとてもそのお婆さんの前に顔を上げることができません。

また、82歳の'ソン・スン・チャン'と言うお婆さんは、一生涯の間「豆萌やし小売り」をして集めた12億ウオンをある地方の大学校に寄附して、ご自分は養老院に入って行かれました。我が韓国が今も存在するのは、このような方たちが居られるからなのです。このような心を持って共同体を考えながら後世を顧みる方たちが居られるから健全なのです。

「ピリピ人への手紙 2章 4節」を見ますと、『自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。』と記されています。私たちは自分のことだけではなく、他人のことも顧みなければなりません。私たちはどんな事があっても、個人主義、集団利己主義を捨てなければなりません。政経癒着、労使紛争、東西分裂、血縁、学縁、地縁、利己主義・・・、こういうものを私たちは断固として捨て、社会共同体、国家、民族の繁栄と言う遠い目標を見つめながら、自分を犠牲にする人生を暮らすことを学んでこそ、私たちが生きて行き、民族が生きて行くことができるのです。これは、他人のことではありません。

IMFが又と来ることはないと、誰も保証することはできません。私たちが利己主義で暮らしたら、皆さん、IMFはまた襲って来ます。再び、ホームレスたちがソウル地下駅に集まり、道端をごろつき回るようになる、そのような状況をもう見ることはないと誰も保証することはできません。

私たちは「新しい千年」を迎えて、これを機会に私たち国民全部が断固として自ら剣を抜き放ち、政経癒着とか労使紛争、東西分裂、地縁、血縁、利己主義・・・等を断ち切らなければなりません。

「コリント人への手紙 第二 5章17節〜18節」に、『だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。』と記されています。

私たちはキリストのうちにあって、新しくならなければなりません。古いものはすべて脱ぎ捨てて、心と考えを新しくしなければならないのです。情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てて、真理に基づく義と聖をもって神様にかたどり造り出された新しい人を着て暮らさなければなりません。このような心の決断がなされなければならないのです。

それで、愛は自分の利益を求めず、愛はいつも施す生活をするのです。私たちが仕え、施す時に、私たちは互いに赦し合うようになり、互いに喜びが満ち溢れるようになり、豊かな生活が近づいて来るようになり、祝福が近づいて来るようになるのです。

「テモテへの手紙 第一 6章18節〜19節」を見ますと、『また、人の益を計り、良い行ないに富み、惜しまずに施し、喜んで分け与えるように。また、まことのいのちを得るために、未来に備えて良い基礎を自分自身のために築き上げるように。』と記されています。良い行いに富み、惜しまずに施し、喜んで分け与える人が、将来の自分の為に良い基礎を築き上げると言うのです。これが、歳月が流れれば自分に祝福として返って来るのです。

利己主義は、現在は口に甘いようですが、遠くない将来には恐ろしく苦い毒草になるのです。『自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。』(ガラテヤ人への手紙 6章 8節)

「マルコの福音書 10章45節」を見ますと、『人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。』と記されています。

新しい千年には、主が約束された天の御国が臨むでしょう。私たちの旅人であり寄留者の道が終わるのです。私たちは、主を信じない人たちとは全く異なる生活をするようになります。ですから何よりも、信仰中心の人生を営まなければなりません。私たちはまず、神の国とその義とを第一に求め、私たちはイエス・キリストを証ししながら、祈りに励み、愛と和解を施し分かち合う新しい千年となりますよう、主の御名によって祈願します。

※澎湃(ほうはい):水がみなぎってさか巻くさま。転じて、盛んな勢いで盛り上がるさま。「―たる世論」




お祈り

聖く、愛であられる天のお父さま!新しい千年が近づいて来たので、私たちの環境が自然に変化するものではありません。自然的・時間的「新しい千年」はそのまま流れて行く連続に過ぎず、何一つ変わっていません。私たちが心に決断を下して、私たち自らが変化しないことには、変化された人生は一つも近づいて来ないことを悟り知るようにして下さい。

全知全能であられる、我が父なる神様!今日、新しい千年の最初の「聖日礼拝」を捧げました。そして新しい千年、最初の「聖餐」に与かります。主の砕かれた御体を食べ、流された血を飲む時に、私たちが心の中に新しい覚悟をし、新しく変化されるように助けて下さい。

慈しみ深く、憐れみ深い、愛であられる我らの天のお父さま!私たちが心の中にはっきりと結び目を結い、新しく覚悟をしなければ、依然として過去も新しい千年も何一つ違うところがないことを知るようにして下さい。私たちが聖餐に与かって、パンを食べ、杯を飲むとき、新しい千年には必ず、「神の国とその義とをまず第一に求めながら暮らします!」「キリストを証しする証人になります!」「祈りに励む者となります!」「愛を実践し、和解する毎日を生きます!」と、堅く覚悟をし、変化されるように助けて下さい。

イエス様の御名によってお祈り申し上げます。アーメン!