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「肉の行ない」
 






■聖書箇所

「ガラテヤ人への手紙 5章19節〜21節」
5:19 肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、
5:20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、
5:21 ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。




今日、私は皆さんと一緒に、『肉の行ない』という題目で恵みの御言葉を分かち合いたいと思います。

人間は元来、霊的「人」として生きるように神様によって造られました。神様は霊であられ、神様と交わる人間は「霊的存在」として造られたのです。肉体とは、たましいが住む家であり、堕落する前は、肉体は全面的にたましいの命令に従順に聞き従う器に過ぎませんでした。

ところが、アダムが堕落して神様から追い出されるや、霊が死んでしまいました。言い換えれば、神様との霊的交わりが断絶されてしまったのです。その結果、必然的に人間は存在する理由と目的と方向感覚を完全に失ってしまいました。神様との交わりが絶えるや、人間はどこから来て、なぜ生きており、どこに行くのか、判らなくなってしまいました。

それで、人間は肉体的「存在」に転落し、肉体の感覚の虜(とりこ)になってしまいました。人間の肉体は悪魔の奴隷になり、帰って来ることができない腐敗の中に落ち込んでしまいました。その時から人間は、肉体のあらゆる腐敗した欲求に引きずり回されながら暮らしています。

「ノアの洪水」の時も、その当時神様の御名を呼ばわっていた「セツ」の子孫たちが完全に堕落した「カイン」の子孫たちの娘たちと結婚して肉体的な人間に堕落するや、神様の御霊が人間を捨てて洪水で滅ぼしてしまいました。「創世記 6章 1節〜8節」に、その事実を次のように記録しています。

6: 1 さて、人が地上にふえ始め、彼らに娘たちが生まれたとき、
6: 2 神の子らは、人の娘たちが、いかにも美しいのを見て、その中から好きな者を選んで、自分たちの妻とした。
6: 3 そこで、主は、「わたしの霊は、永久には人のうちにとどまらないであろう。それは人が肉にすぎないからだ。それで人の齢は、百二十年にしよう。」と仰せられた。
6: 4 神の子らが、人の娘たちのところにはいり、彼らに子どもができたころ、またその後にも、ネフィリムが地上にいた。これらは、昔の勇士であり、名のある者たちであった。
6: 5 主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。
6: 6 それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。
6: 7 そして主は仰せられた。「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。人をはじめ、家畜やはうもの、空の鳥に至るまで。わたしは、これらを造ったことを残念に思うからだ。」
6: 8 しかし、ノアは、主の心にかなっていた。




ご覧下さい。神様の息子たちが、世俗に完全に堕落した娘たちと結婚して「肉」になってしまいました。霊的世界は完全に投げ捨てて「肉」になってしまったので、神様が怒り、その「肉」を洪水で滅ぼしてしまったのです。

「ソドムとゴモラ」の滅亡も同様です。そこの住民たちが完全に「肉」になることによって罪悪が満ち溢れるので、神様が天から「硫黄の火の雨」を降らして滅ぼしてしまいました。「ユダの手紙 1章 7節〜8節」の御言葉です。『また、ソドム、ゴモラおよび周囲の町々も彼らと同じように、好色にふけり、不自然な肉欲を追い求めたので、永遠の火の刑罰を受けて、みせしめにされています。それなのに、この人たちもまた同じように、夢見る者であり、肉体を汚し、権威ある者を軽んじ、栄えある者をそしっています。』

こんにち、私たちの時代もますます「ノアの時」と同様であり、「ソドムとゴモラ」のような世の中に変化し、人たちが「肉」になって行きつつあります。それで、神様が人類をさばかれる日も近くなってきています。私たちはこのような時であるほど、私たちの霊に逆らう「肉」を十字架に釘付けにして、毎日「救いの道」を力強く走って行かなければなりません。

「ユダの手紙 1章17節〜21節」に、『愛する人々よ。私たちの主イエス・キリストの使徒たちが、前もって語ったことばを思い起こしてください。彼らはあなたがたにこう言いました。「終わりの時には、自分の不敬虔な欲望のままにふるまう、あざける者どもが現われる。」この人たちは、御霊を持たず、分裂を起こし、生まれつきのままの人間です。しかし、愛する人々よ。あなたがたは、自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ、聖霊によって祈り、神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに至らせる、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。』と記されています。

それでは、一体「肉の行ない」とはどのような事を言うのでしょうか? 聖書「ガラテヤ人への手紙」に記録されている本文の内容を見ましょう。




第一、性的堕落

第1番目に、性的堕落が、肉の行いの顕著な例です。性的堕落とはどのようなものでしょうか。聖書「ガラテヤ人への手紙」を見ますと、不品行、即ち、淫行が性的堕落であり、肉の行ないであると記録しています。淫行とは、結婚していない男女の性的関係や売春行為を言います。

皆さん! こんにち私たちの社会にどれ程「肉の行い」である性的堕落が蔓延しているか、形容することができません。いわゆる「援助交際」と言うものがありますが、これは幼い青少年の売春行為です。お隣のある国で中・高等学校の女学生を相手に行なわれたことを真似、美化させた犯罪行為です。「援助交際」と言う名目で、3名の内1名は女子中学生である未成年者を相手に、中・壮年の男性が性的犯罪行為をしているのです。

開放的な10代が性意識がなく、お金に魅了された、そのような状況の中で大人たちが子供たちを誘惑して性的「なぶりもの」にしているのです。また、女子中学生が「業者」と組んで、小学生と大人を引っ張り込んで「不品行」を斡旋したことから警察に検挙された事件がありました。警察に連行されてきた女子中学生たちからは、反省とか罪責感とかが全く見られなかったと言います。

また、最近、インターネットに「夫婦交換」広告が載っているのを見て、ショックを受けました。公然と"Web site"に「夫婦を相互交換しましょう。この疲れた世の中、飽き事だらけの人生を暮らしながら、毎日「同じカップル同士」では全く興醒めです・・・。」と言った広告が出されていました。

これが、こんにち韓国社会と世界が「肉」に変化されて行く状況なのです。このように、道徳的ブレーキが完全にゆるんだ時代に私たちが暮らしているのです。

「コリント人への手紙 第一 6章18節」に、『不品行を避けなさい。人が犯す罪はすべて、からだの外のものです。しかし、不品行を行なう者は、自分のからだに対して罪を犯すのです。』と記されています。また「コリント人への手紙 第一 3章17節」には、『もし、だれかが神の神殿をこわすなら、神がその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたがその神殿です。』と記されているのです。

第2番目に、肉の行ないは「汚れ」であると言われました。皆さん!人たちがこんにち、いつ何時でも汚れた考えをしています。私たちが語る言葉の中に、「汚れた言葉」が如何に多いかわかりません。汚れた霊が人たちに取り付いていて、「汚れた考え」をし、「汚れた言葉」を語るようにしているのです。こんにち、この世の中は「汚れた霊」でいっぱいに満ちています。人たちは、汚れた行ないをためらう事なく行なっています。

「エペソ人への手紙 5章 3節〜4節」に、『あなたがたの間では、聖徒にふさわしく、不品行も、どんな汚れも、またむさぼりも、口にすることさえいけません。また、みだらなことや、愚かな話や、下品な冗談を避けなさい。そのようなことは良くないことです。むしろ、感謝しなさい。』と記されています。

皆さん! 私たちが「汚れた考え」をし、「汚れた言葉」を語り、「汚れた行い」をする時は、「汚れた霊」が私たちに取り付いていて、私たちを堕落させていると言う事実を悟らなければなりません。そして断固として、主イエス様の御名によって「汚れた霊」を追い出さなければなりません。

第3番目に、聖書に、肉の行ないは「好色」であると言われました。こんにち、私たちの社会は「好色の洪水」の中に溺れています。出版物を通した「好色」、ビデオを通した「好色」、インターネット、TV、映画・・・、周辺環境が「好色」へと誘惑する恐ろしい「落し穴」になっています。

我が国には、全国的に「ビデオ鑑賞館」が約3千個所あります。男女が「性的接触場所」として利用しているのが殆どであると言われています。ところが、驚くことには高校生の63%が出入りしたと言っており、成人85%が入ってみた経験があると言うのです。皆さん!「ビデオ鑑賞館」と言う所が韓国の社会で盛業中であると言われています。ここが如何に汚れた所であるかをうかがい知ることができます。

国政監査資料によりますと、PC通信の淫乱情報が今年1月〜8月までの間に約21万件を越したと言います。「PCゲーム・ルーム」と言うところでは、不健全な異性間のミーティングを誘導し、家庭を破綻に落とし入れ、社会を淫乱の沼に引き連れ込んでいます。小説、ビデオ、TV、映画などが不倫を美化させているのです。

アメリカの雑誌調査結果をみますと、応答者の3分の2が「TVが社会に悪い影響を及ぼす」と答えたと言います。TVの扇情性が「結婚外の情事」を84%も増加させたと言い、即興的な性行為を83%も増加させた、青少年の性堕落を90%高めた、女性への性暴力を94%も誘発した・・・、そのような悪をTVは犯していると発表しています。

こんにち、新世代の主婦60%ほどが、「結婚後も「ボーイフレンド」と付き合い続けたいと願っている」と言う調査結果を見せています。聖霊の風が吹いて来ないことには、こんにち、韓国の社会だけでなく全世界が、この不品行、汚れ、好色の泥沼に溺れて、結局は"ソドムとゴモラ"と同じ火のさばきに会ってしまうようになるでしょう。

この世が、何故さばきを受けるようになるでしょうか。それは、全世界が「肉」になって行くからです。聖霊が離れ去り、完全に人が「肉」になることによって、神様が世の人たちと継続して共に居られることができなくなるからなのです。

「コロサイ人への手紙 3章 5節〜6節」に、『ですから、地上のからだの諸部分、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪い欲、そしてむさぼりを殺してしまいなさい。このむさぼりが、そのまま偶像礼拝なのです。このようなことのために、神の怒りが下るのです。』と記されています。




第二、悪魔との交わり

次には、悪魔と交わることが「肉の行ない」です。即ち、偶像崇拝がまさに「肉の行ない」なのです。聖書を見ますと、「十戒」のうち第1の戒めと第2の戒めがみな、偶像崇拝に対して警告しています。『あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。』『それらを拝んではならない。』と言われたのです。

皆さん! 見える偶像と、見えない偶像があります。見える偶像とは、金や銀、石や木で作ったものであり、それらを拝んではならないのです。見えない偶像とは、私たちが心の中に抱いて神様よりもっと愛するものであり、すべてをそれらに捧げる、そのような事が偶像崇拝です。

「コロサイ人への手紙 3章 4節」に、『・・・このむさぼりが、そのまま偶像礼拝なのです。』と記されてあり、「エペソ人への手紙 5章 5節」には、『あなたがたがよく見て知っているとおり、不品行な者や、汚れた者や、むさぼる者・・これが偶像礼拝者です。・・こういう人はだれも、キリストと神との御国を相続することができません。』と記されています。

こんにち、人たちは「政治的権力」のためにすべてのものを捧げており、地位とか名誉のために、快楽のために、すべてのものを捧げ、そこに頭を下げる、即ち偶像崇拝をしている人が意外と多いです。聖書に、『心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』(マルコの福音書 12章30節)と言われました。また、『神の国とその義とをまず第一に求めなさい。』(マタイの福音書 6章33節)とも言われています。

ところが、人たちは貪欲の奴隷となって、「むさぼり」に走り、「むさぼり」第一と追求し、「むさぼり」に囚われて生活しています。これは重大な偶像崇拝なのです。この偶像崇拝が「肉の行ない」であり、神様のさばきの対象になるのです。

その次には、魔術が「肉の行ない」であると言われました。占いをし、生年月日をもって運勢の吉凶を判断し、祈福信仰、巫女踊りをさせることなどを言いますが、先進国・後進国を問わずにこの魔術がいっぱいに蔓延(はびこ)っています。

去る1996年度の統計ですが、我が国の巫女や占い師の数が、登録された数だけで全国的に50万名にも及びます。許可された占ない屋(占う家)が1万1千軒、無許可まで合わせたらその数は知ることができません。

「レビ記 20章27節」に、『男か女で、霊媒や口寄せがいるなら、その者は必ず殺されなければならない。彼らは石で打ち殺されなければならない。彼らの血の責任は彼らにある。』と記されています。神様は、このような「魔術」を絶対に赦されません。この魔術は、まさに「肉の行ない」なのです。




第三、人間的葛藤

人間的葛藤も「肉の行ない」である、と聖書に記録されています。人間的葛藤は何でしょうか。敵意を抱くことです。これも「肉の行ない」です。こんにち、人たちはたやすく敵意を抱くようになり、なかなか和解しようとしません。最後まで対決しようとし、復讐しようとする態度が「肉の行ない」です。この敵意を抱くことは「肉の行ない」であり、神様が憎まれることです。

その次に、争いが「肉の行ない」です。対話と妥協には見向きもせず、白黒論理で最後まで争います。どこまでも自分だけが正しく、相手は間違っているとして、噛み合い、食い下がります。このような事は私たちの社会、特に政治界でいくらでも見ることができます。これは「肉の行ない」です。絶対に神様が祝福して下さいません。

それから、嫉(そね)み・妬(ねた)みも、まさに「肉の行ない」です。皆さん!嫉みは、他人の幸運や長所を見て、自分にはそれが望み得ないことを不満に思い、相手に悪いことが起こればいいと思うことです。この嫉みを通して数多い不幸と破壊と挫折と絶望が襲って来ます。また人間は相手を嫉んで、あらゆる「ある事、ない事」作り話を言い触らし、謀略・中傷します。これは「肉の行ない」なのです。

その次には、憤りも「肉の行ない」であると聖書で言われています。「エペソ人への手紙 4章 2節〜3節」に、『謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。』と記されています。

また「ピリピ人への手紙 2章 4節〜5節」には、『自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。』と記されています。堪(こら)え性がなく、小さな事にも容易(たやす)く憤ってはいけません。謙遜になり、寛容な心を持つようにと聖書は励ましています。




第四、分裂

それから、党派心、即ち、分裂を助長すること、これが4番目の「肉の行ない」です。私たちが和解せず分裂するとき、これは「肉の行ない」なのです。分裂することは、私たちが大衆と互いに一つになれずに互いに分裂すること、全体を見ずに自分'個体'だけを見る、そのような集団利己主義、これは「肉の行ない」です。

自分たち少数の欲だけを主張し、それでデモをするなど、全体の利益を見ずに少数の利益に執着する、このような分離主義が私たちの国の現実社会にどんなに多いかわかりません。地方自治制度が施行されるようになってから、このような現象が著しく顕わになりました。これは「肉の行ない」なのです。

その次に、分派すること、これは「肉の行ない」であると言われました。団体の中で派を作って対決するのです。この分派することを神様は忌み嫌われます。これは、団結に害を与えるからです。韓国を見ましょう。東・西が分かれています。どこに行って見ても、東・西が分かれていることを骨に沁みて感じるようになります。これは、聖霊さまが韓国でみわざを働かすことができないようにする、大きな障害物です。

私たちは、この東・西に分かれて派を作り、党を作ることを絶対に受容してはなりません。これは「肉の行ない」なのです。これは、神様から審かれることです。同郷である、同窓生である、地縁、氏族・・・等で派を作っては、勢力化するのです。そのようなことをしたら、国全体が分裂してしまいます。このようなことは分裂することであり、「肉の行ない」です。聖霊さまがなさることではありません。

教会の中でまでも、分派の兆しが少なくありません。それで、多くの教会が崩れ倒れます。イエス様が血を流して贖われた、主の御体である教会が何故、崩れ倒れるのでしょうか。サタンが入って来る、「肉の行ない」が起こって党を作るので、教会が分裂を起すのです。「ユダの手紙 1章19節」に、『この人たちは、御霊を持たず、分裂を起こし、生まれつきのままの人間です。』と記されています。

聖霊に満たされている人は、絶対に分裂、分派などしません。聖霊は私たちが一つとなるようになさいます。しかし、サタンが入って来たら、肉の人を集めて教会を引き裂いてしまい、団体を分裂させてしまいます。「ローマ人への手紙 2章 8節」に、『党派心を持ち、真理に従わないで不義に従う者には、怒りと憤りを下されるのです。』と記されています。

神様の御体である教会の中で党派を作り、派閥を作ったら、神様が怒りと憤りを発して彼らを打つと言われました。教会は、キリストが血を流して買われた、神様の聖霊がおられる神殿です。聖霊に逆らったら神様が滅ぼしてしまうのです。教会に分裂、分派をもたらす異端の群れがあります。異端とは、自分の貪欲を中心にした間違った「真理」を教えて、彼らを引きずり出して滅ぼします。家庭を破滅させ、財産を奪い取る異端と、このような事をする群れが韓国社会にも少なくありません。

「ヨハネの手紙 第二 1章10節〜11節」に、『あなたがたのところに来る人で、この教えを持って来ない者は、家に受け入れてはいけません。その人にあいさつのことばをかけてもいけません。そういう人にあいさつすれば、その悪い行ないをともにすることになります。』と記録されています。異端と邪術の集会に参加すること、それ自体も神様は正しいとは言われないのです。




第五、道徳的紊乱

皆さん! その次の第5番目は、道徳的紊乱を「肉の行ない」であると聖書は記録しています。それでは、道徳的紊乱とは何でしょうか?

道徳的紊乱の中で、酩酊を真っ先に取り上げています。こんにち、男女の酒飲みが凄く増えております。ただ酒を嗜(たしな)むのではなく、暴飲をし、酒に酔っ払って道徳を紊乱するようになるのです。私たちには、恥ずかしい「世界第1位」が幾つもあります。発表されたのを見ますと、我が韓国民族が「飲酒世界第1位」であると言います。世界でもっとも酒をたくさん飲む民族が我が民族であると言うのです。

次に、世界でタバコをもっともたくさん吸う事で1番なのが我が国である言います。タバコを吸って、数兆ウォンのお金を煙にしてなくし、肺ガンにかかって人生をめちゃくちゃにしてしまうと言うのです。この頃、私が按手祈祷をして上げながら驚いたことは、数多い人たちが肺ガンにかかって私のところに按手祈祷を受けに来るという事実です。

自分勝手に煙草を吸って、肺ガンにかかって来るのです。ところが、煙草を吸わない奥さんたちが肺ガンにかかって来る例が本当に少なくありません。旦那が家でしきりにタバコを吸うので、間接吸煙によって肺ガンになって来るのです。あまりにも気の毒なことです。これも、本当に恥ずかしいことです。

また「世界第1位」があります。交通事故で死ぬのが「世界第1位」であると言うのです。世界で酒を一番たくさん飲み、タバコを一番たくさん吸い、自動車でひき殺すことを一番たくさんする、このようなそれこそ恥ずかしい世界記録を私たちが樹立しているのです。これは、まさに「肉の行ない」の著しい顕われです。それ程に、韓国民族は神様を恐れず、「肉」に従って暮らしているのです。

すべての乱れが、酒を飲むことから始まります。それで「エペソ人への手紙 5章18節」に、『また、酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。』と言われました。放蕩は、人生の秩序を無視する行ないです。父母を敬いません。秩序の無視です。『あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。』と言われました。

ところが、この頃は核家族を形成しており、子どもたちは親が死のうが生きようが顧みません。自分たちだけで良い暮らしをすることに気を奪われています。これは放蕩です。息子・娘たちが老父母の生活に関して全く無関心です。老人たちに、「何がいの一番の願いですか?」と尋ねてみました。すると、「子どもたちが、月に30万ウォンだけくれたら最高ですがな。」との事でありました。

息子・娘たちが協力して30万ウォンをくれる、友人たちと1日に1万ウォンだけ使うことができる、としたらどんなに幸福だろうかと言うのです。これが現実です。我が国は、福祉制度がまだ不充分なので政府からの年金支給がありません。それで子どもたちに頼るしかないのです。ところが子どもたちが父母を敬うどころか、父母の世話をしようとしません。親を敬わないのは、放蕩に至る生活なのです。

また、この頃の若い人たちは目上の人を尊敬しません。先生とか、隣人とか、目上の人を敬わず、無視する傾向が濃厚です。これは放蕩なのです。社会の法的秩序が尊重されませんので、ひたすらに物質、権力、快楽万能主義が私たちの社会にいっぱいに満ちています。

「ローマ人への手紙 13章12節〜14節」に、『夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活ではなく、昼間らしい、正しい生き方をしようではありませんか。主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。』と記されています。

もう新しい千年が近づいて参りました。この新しい千年を目の前にしている今は、まさにイエス・キリストがご降臨なさる直前です。私たちクリスチャンに新しい千年が特別の意味を持っているのは、私たちには、これからこの世を離れて新しい天と新しい地、新しいエルサレムに入って行く定めが成就する新しい千年であるからです。

ですから私たちは、「肉の行ない」を捨てて、神様中心に立って生きて行く人生を暮らさなければならなりません。「肉の行ない」は、性的堕落がその第1番目であり、悪魔との交わりがその第2番目であり、人間的葛藤がその第3番目、分裂がその第4番目、そして、道徳的紊乱がその第5番目です。

このようなものたちが、肉の属性です。聖書には、このような事をする者たち、はばかる事なくこのような事の中で暮らす人たちは、神の御国を相続することができない、と記録されています。神様は、ノアの子孫たちが「肉」になった時に滅ぼし、ソドムとゴモラも「肉」になった時に滅ぼされました。こんにちも、「肉」になった人間は滅ぼされ、天の御国を相続することができないのです。

「ガラテヤ人への手紙 5章24節」に、『キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。』と記されています。

また、「ペテロの手紙 第一 4章 3節〜5節」には、『あなたがたは、異邦人たちがしたいと思っていることを行ない、好色、情欲、酔酒、遊興、宴会騒ぎ、忌むべき偶像礼拝などにふけったものですが、それは過ぎ去った時で、もう十分です。彼らは、あなたがたが自分たちといっしょに度を過ごした放蕩に走らないので不思議に思い、また悪口を言います。彼らは、生きている人々をも死んだ人々をも、すぐにもさばこうとしている方に対し、申し開きをしなければなりません。』と記されているのです。

私たちの信仰生活は、霊に逆らう「肉」と対決し、これと戦うことです。この戦いは、もう勝った戦いです。その理由は、イエス様が既に十字架の上で「肉」を征服してしまったからです。私たちはいつも祈りに専念し、聖霊充満に与かって、悪魔と「肉」に対抗して絶え間なく戦わなければならなりません。戦う人は生きている人であり、戦いを放棄した人は霊的に死んだ人です。

こんにち、数多い聖徒さんたちが「肉」に対抗せず、戦いを放棄して、「肉」に押し負かされています。教会に出席して形式と儀式はみな守りますが、霊に逆らって挑戦してくる「肉」に対して対抗しません。風に吹かれるまま、水に流されるままに生きていきます。その人たちは、既に死んだ人たちです。

しかし、この世を暮らしながら絶えず悔い改め、涙で祈り、「肉」に対抗して戦う人は、生きている人です。たましいが生きているからなのです。皆さん!十字架に拠り頼んで毎日「肉」に討ち勝ち、遂には「肉」を脱ぎ捨てて、霊的な人生を暮らすようにしましょう。そして、主がご降臨なさるその日には、雲の中に一挙に引き上げられる皆さんとなりますよう、主の御名によって祝福します。




お祈り

聖く、愛であられる、我らの父なる神様! 世の人たちは、堕落したアダムの子孫として暮らしています。そして「肉」が人たちを絶え間なく誘惑して、悪魔と世俗の中に引き連れ込んでいます。しかし私たちは、イエス様を信じて新しく生まれた「人たち」です。私たちのたましいは、聖霊さまと共に絶えず「肉」と戦っています。そして「肉」を十字架に釘付けにしてしまいました。これからは、天の御国に向かって進んで行きます。

こんにち、この世の人たちは、「肉」の人たちと「霊的」人たちとに分かれています。全知全能であられる天のお父さま! イエス様を信じて新しく生まれた人たちは、「肉」と熾烈に戦いながら生きて行きます。信じない人たちは「肉」の人となって、悪魔に従いながら地獄に向かって流れています。

愛であられる、天の父なる神様! 新しい千年、主のご降臨の日が目の前に近づいている今の時点にあって、全世界が「ノアの洪水」の時、「ソドムとゴモラ」の時と同様になって、神様のお審きを待っています。しかし、私たちはそのお審きに会わないように助けて下さい。「肉の人」を完全に脱ぎ捨てて、「霊的な人」としてキリストと一緒に同行する私たちとなれるように助けて下さい。

イエス様の御名によってお祈り申し上げます。アーメン!