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  (No.1)

自らを制し治める人
当たり前の事を行う
失敗を肥やしにする
信じ切ること
言葉は命をもつ
自らの場所を知る
知恵は活かすもの
本物を見る
感謝は成功を生む

継続は勝利のもと
生きて働くことば
兆しを捉える
本当の価値とは
勝利者の共通点
心のゆとり
変化をつかむ
危機管理
賜物を活かし用いる



自らを治めることの難しさと大切さ

 



本稿では、「相場師」や「投資家」にとって、陥りやすい「相場師病」や「心の戦い」に勝つ為の知恵と方法を、聖書の中にある、「神の摂理」を通し、また先人の教えや失敗を通して、共に考え、共に吟味してゆきたいと思います。また時には相場を離れ、世に勝利する方法や人生の勝利者となる知恵を探るなど、しばし「人生のみちくさ」を味わってくださればと思います。このコラムをお読み下さる方の、相場感、人生観を迷わせる事がないようにと願いつつ、少しでも益となる部分があれば、ご活用頂ければ幸いです。

相場に参加する人にとって「相場師」と言うことばに一種の憧れをもつ人もいますが、巷で云う相場師なるものは世には存在しないと云った方が正確かも知れません。ただ人が想像する姿とはかけ離れたものですが、相場で生きている人たちが存在する事は事実です。それは目立つこともなく、カッコよくもない、他の職業に比べ非常に孤独な仕事と言えます。

一時に大金を稼ぎ大儲けする人が相場師ではありません、継続して相場で生活する人が本当の相場師と言えるのではないでしょうか。八百屋さんが大根を100円で仕入れ120円で売る、これと同じ様に、興奮もスリルもない、単純な方法で売買している人が殆どだろうと思われます。また世の事業やスポーツなどでは、その行為に「燃える」情熱が勝敗を決める事も少なくありません。しかし相場では決して燃えない事が重要です、燃えて灰となる人達が今も絶える事はありません。


人はなぜ相場に参加するのか、「金儲けをしたい」と答える人が大部分でしょう。「いや、相場のスリルを味わいたい」「経済の勉強をしたい」と反論する人もいます、しかしそれは逃避と云わねばなりません。経済の勉強やスリルを味わうだけならば、リスクの大きい投資をあえて選ばなくても、他に方法が沢山あります。人は自らの思惑が外れ、計画が旨くゆかないとき、色々な正論を並べて、的(まと)を変更したり、的を二つにしてしまいます。一度定めた的は矢を放ち、射止めるまで変更しないこと、相場師が罫線屋になったり、テクニカル分析のハシゴを続ける事だけは避けたいものです。

カメラマンが機材に凝り、アーチストが楽器に凝る、それはある面では必要な事ですが、的とする目的、「良い写真を撮る」、「素晴らしい演奏をする」事とは、必ずしも一致しません。相場に生きる者にとっても、「良い写真」を撮り、「素晴らしい演奏をする」と同じように、「利益をあげる」事が一番の目的であると言えます。しかし楽器がなくては演奏は出来ず、カメラがなければ写真は撮れません。そこで最低必要な道具は、相場に限らず何をするにしても必要な事は言うまでもありません。どうしても必要なものとそうでないものを分別する目も相場には必要となります。

また世の中には数え切れない情報が溢れていますが、正しい不変の情報は僅かしかありません。如何に正しい情報(データ)のみを残し、他を捨てるかが、相場世界で生き残る知恵の一つと言えます。株式のテクニカル分析に用いられる元のデータも、四本値、出来高、信用残です。また企業が発表する情報以外、世間に流れる情報を参考にしない。つまり本物のみ用いる単純な売買が、継続した利益に結びつくものではないでしょうか。

売買方法についても多く持った人が成功するのではありません。どんな方法にしろ継続して利益のあげられる、「自分の売買法」を一つ持てば良いことです。しかし投資家の多くは、いろいろな新しい売買方法を求めます。売買法は人の真似をしても、継続した利益には結びつきません。自らの売買法を握ったまま、他人の良い処(その人の都合の良い処)を得ようします。利益をあげ続ける人の売買法を自分のものとしたい時は、自らの売買法の全てを捨て、その人の売買法に徹する勇気が必要です。自らを殺してその人の売買に生きる。これを出来る者だけが、その売買法を受け取る事が出来ます。


相場に限らず、自分を殺すこと それは大変難しいことです。しかしその中から新しいものが生まれます。ある電車の車中での出来事です。体の不自由なお婆さんが電車に乗っていました。お婆さんはそろそろ降りなくてはならないので、少し到着には早かったけれど、座席から立ち上がり、不自由な体をドアの手すりにゆだねて立っていました。そこへ幼稚園へ通う少女が「お婆さん!ここにすわってください」とあどけない顔で、自分の座っていた座席を指さしました。お婆さんは少し困りました。しかし少女の顔を見て、「次の駅で降りるから・・」とは云わず、「お嬢ちゃんありがとう」と少女に手を引かれ、少女が座っていた座席に不自由な体で腰を降ろしました。

やがて電車はお婆さんが降りるはずの駅に到着しましたが、お婆さんは降りずに、ドアが閉まりました。そしてお婆さんは次の駅で立ち上がり、「お嬢ちゃん、親切にしてくれて、ほんとうにありがとうネ」と深々と頭をさげて降りて行きました。そして急な階段を登り、反対のホームへと不自由な体で歩いていました。それを見ていた少女のお母さんから、ずいぶん後になって少女はその事を知らされました。彼女はその後、医学部を首席で卒業し、老人医療に携わる立派な専門医として活躍しています。

人は自分を殺し、意に反した事はしたくないものです。このお婆さんの、不自由な体を犠牲にし、自分を殺した行動を通して、一人の少女に新しい命が芽生えました。自らが生きる事ばかり考えたとき、そこには何も生まれないばかりか、失望と落胆が芽生えます。自らを制し、自らを治める者からは命が溢れ、知恵が満ちます。相場に於いてもこの摂理は何も変わる事はありません。人は蒔いたものは必ず刈り取る運命が定められているからです。

(注:ここで云う「相場」は主に株式投資を指しています。)




 



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