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  (No.3)

自らを制し治める人
当たり前の事を行う
失敗を肥やしにする
信じ切ること
言葉は命をもつ
自らの場所を知る
知恵は活かすもの
本物を見る
感謝は成功を生む

継続は勝利のもと
生きて働くことば
兆しを捉える
本当の価値とは
勝利者の共通点
心のゆとり
変化をつかむ
危機管理
賜物を活かし用いる



失敗をゴミとしないで肥やしとする

 



世の中には何をさせても器用な人とそうでない人がいます。人の数倍の努力と研鑽を重ねつつ仲々実を結ばない人もいれば、勉強もせず何をさせてもそれなりに仕上げて仕舞う器用な人もいます。なに事も出来るに越した事はありません、しかし出来ない事を憂う必要はまったくありません。出来ないが故に真剣になり、丁寧になり、熱心になります。

器用な人はできるが故に、努力を必要とせず、また求める事をしません。見た目には素晴らしい成果をあげながらも人から疎まれたり反感をかわれる事もあります。それは相手の心を打つ、隠れた命が伝わらないからに他なりません。自らを低くして真剣に知恵を求める時、その中に何かが現れ、そのものの価値を更に引き上げます。

同じ材料、同じ道具を用いても、出来上がりが違うと言った事はよくあります。料理もしかり、陶器や工芸品も同じです。食材を生かした美味しい料理、火と土の見事な調和によって生まれた陶器など、どうしてこれ程違うのかと感じる事も少なくありません。

それらの出来映えの優れた本物には、見えない部分の「努力と隠し味」、「巧みの業」が宿っています。そして見えない努力が魅力に変わり、人の心を動かしたり、感動を与えます。

相場に於いても同じ売買のように見える中にも、本物とそうでないのものがあります。利益を多く確保出来た売買が決して最善の売買とは言えません。持ち株が仕手化され、最高値で売却出来た事を誇る人、飛び乗り飛び降りを自慢する人、それらの人の売買は確かに利益は大きいかも知れませんが、何時かは相場の世界から消え去る運命が定められています。

決して無謀に走らず、自らの失敗から目を背けない事が大切です。相場に限らず人生でも、同じ過ちを二度と繰り返さない、この積み重ねが、知識を知恵と変え、知恵が命を得て勝利の道へと導いてくれます。人は過去の失敗は一日も早く忘れたいものです。しかしこの「失敗や間違い」と言うマイナスの資産が自らを鍛え、戦う業と力を蓄積してくれると言う事を忘れてはなりません。

また人は間違いや失敗した時、誰もが後悔します。そして殆どの人が失敗と言う現実を、後悔と共に「忘れる」と言うゴミ箱に捨ててしまいます。自らの失敗から目を反らす人は、失敗は失敗のまま残り、失敗や間違いから逃げない人は、その失敗や間違いが次の成功へと変わります。ここがプロとアマ、本物の丁寧な売買とそうでない売買との別れ道となります。

俳優の森繁久弥さんは昭和42年から62年まで19年間、「屋根裏のバイオリン弾き」をロングラン公演していました。その間、自分の芝居を自負する事はありませんでしたが、良く出来たと思う舞台もありました。ある時、舞台から客席を見ると、最前列に女学生が座っていました。しかし彼女の態度が少しおかしいのです、うつむいて眠っているのです。自分達が、精一杯芝居をしているのに何と言う事かと、腹が立ちました。

共演している仲間達も同じ事を考えていました。しかし彼女は芝居が始まってからずっと眠ったままです。舞台の袖で共演者達と、「なんて奴だ、たたき起こしてやろう」と話し合い、いつもの流れと違う舞台運びで、わざと大げさな音を立てたりして、彼女を舞台の上から睨みつけました。しかし彼女の態度は変わりません、相変わらず下を向いて眠っています。

芝居はクライマックも終わり、アンコール・カーテンと言う芝居の後の再登場の幕が上がりました。その時、その少女が初めて顔を上げました。彼女は眠っていたのではなかったのです。なんと彼女は「全盲の少女」でした。

「私はなんと申し訳ない事をしてしまったのだろう」
森繁久弥さんは悔いた。思わず舞台から飛び降り、

「お嬢ちゃん!」
彼女のホッペをつつみながら泣いた。

「ごめんなさい・・」
「私の舞台からの攻撃は分かっていましたか?」
「分かっていました。」
お客さんにも事情を説明しました。

「私は、彼女が眠っていると思い、大変な事をしてしまいました。」
「役者としてこんな失礼な舞台をお見せした事を心からお詫びします。」

劇場の中は大きな拍手が途切れる事なく続きました。

この彼の役者魂が、彼の芝居の「品格」「あじわい」「色気」を作り出す素になっていると思われます。人は誰でも失敗し、勘違いします、そしてその事を後悔します。「反省だけならサルでもできる」と言うTVコマーシャルもありましたが、その後の対応が大切です。「悔い改める」とは「後悔」を越えたものであり、失敗を補って、なお余りがあるものに変わります。又悔い改めには、勝利につながる新しい命が生まれます。

相場に関わる者が、失敗や間違いを無にする事は難しい事です。自分が間違っているのか、相場が間違っているのか、苦悩の中で迷う事も少なくありません。その失敗をゴミとして捨てる人と、失敗や間違いを「肥やし」とする人がいます。

後悔する人は前者であり、悔い改める人は後者の人と言えます。さてどちらに属するか、相場に限らず、自らの人生に於いても絶えず吟味したいものです。





 



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