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  (No.7)

自らを制し治める人
当たり前の事を行う
失敗を肥やしにする
信じ切ること
言葉は命をもつ
自らの場所を知る
知恵は生かすもの
本物を見る
感謝は成功を生む

継続は勝利のもと
生きて働くことば
兆しを捉える
本当の価値とは
勝利者の共通点
心のゆとり
変化をつかむ
危機管理
賜物を活かし用いる



知恵は生かすもの

 



人は色々な事に迷います。聖書に「人は迷える子羊」とあるように、人生の様々な状況の中で、重大な選択や決断を迷わずに行える人は多くありません。多かれ少なかれ迷いを経験して決断を下します。結果が良くて初めて、その選択が良かったと分かり、結果が悪かった時、その選択が間違っていた事を悟ります。

自分自身が「信じるポリシー」を持つ人は持たない人に比べ、決断や選択の場面で、その迷いが半減され、選択の結果に自信を持つことができます。また「できる」「必ずできる」と確信をもつ時、不思議な事に、信じた通りの結果を得る事が少なくありません。

反対に疑いを抱いたまま行動した場合は、正しい情報すら信じられなくなり、悪い状況ばかりが目の前をかすめます。そして決断と行動を鈍らせ、正しい判断が出来なくなり、最悪の結果を招いてしまうことになります。

その分かれ道はどこにあるのでしょうか。それは人の思いの中に「確信」と、未来に向かった「夢」があるかないかによります。70歳を越えた人でも「夢と確信」を持てば、新しい知恵がわき、思わぬ行動力が備わります。若者でも「夢と自信」のない人は、生きた屍に等しくなってしまいます。

「隣の芝生は青い」ものです、人は自分に無いものを求めます。しかし無いものを外に求めるより、有るものを内に探すとき、思わぬ宝を発見する事があります。、「まだ・・・がある」は、「もう・・・しかない」を補ったうえ、「確信」と「希望」を生み、更には「未来の夢」まで育む事になります。

無尽蔵の株式売買システムの一つに、過去の確率を利用した方法があります。銘柄の過去の状態を分析して、未来を予測する方法です。良い悪いは別にしてこれも一つの売買法である事に違いはありません。

例えて言いますと、昼食の後、昼寝をする癖のある人がいたとします。彼は過去10年間、1日も昼寝を欠かした事がありません。過去に100%の確率で昼寝をした彼は、明日も昼寝をする可能性は多分にあります。しかし突発的な事態が起きる可能性もあります。彼が明日も昼寝をすると言う保証はありませんが、「昼寝をする」確率はかなり大きなものと予測出来ます。

相場は明日も同じ歴史を繰り返すとは決して言えません。過去の確率を用いた売買方法は「邪道」と言う人も多くいます。また他に確率の高い、高度なシステム売買も存在する事も事実です。

しかしこの一つの方法だけを信じて実践し続けた人がいます。過去100%と言う数値が、彼の心で「確かな確信」と変わり、「必ず成る」と言う思いが決断の迷いを払拭しました。その結果、彼の収穫の季節は今も変わる事なく続いている事は言うまでもありません。

道(方法)は沢山あります。二つの道を同時に歩む事は出来ません。道の選択に迷わず、最善と信じる一つの道を歩み続けるとき、後の者が先になるように、早く目的の地に到達する事は間違いないようです。


戦後間もない頃です。和歌山のあるキリスト教会のまえに、身寄りのない少年が座っていました。殆ど食事もとっていないのか、やつれて痩せ細っていました。日曜礼拝に来る信徒や牧師さんも、最初は見て見ない振りをしていました。

しかし毎日淋しそうな少年を見る牧師さんは、可哀想に思い少年の面倒を見る事にしました。信徒の人たちにも了解を求め、一緒に暮らす事になりました。

彼は知恵遅れと言う障害を持っていました。何をさせても失敗ばかり、信徒達からも不満の声が上がり、やがてそれが少年へのいじめへと変わってゆきました。牧師さんは事ある毎に少年をかばい、せめて義務教育が終わるまではと、信徒や教会役員にとりなしました。

教会では、暗唱聖句と言う「聖書のことば」を覚える勉強会がありました。教会の子供達はすぐに覚えますが、少年はいくら教えても覚える事ができません。皆んなは沢山の聖句を暗記しますが、長い年月を通して、少年が覚えた聖句は、たった一つでした。

それは「 人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」(ヨハネ15:13)と言うことばでした。

教会で、こんな状態の少年は学校でも同じでした。同級生からも「能なし」「ゴミ!」と馬鹿にされ、「おまえなんか居なくなれ」と言われる毎日でした。多くの信徒も、何とかして少年を教会から放り出したいと、牧師さんに迫りました。

少年が中学を卒業したとき、食堂の手伝いに住み込む事になり、心を痛めた牧師さん以外、全員が喜びしました。

食堂に住み込んだ少年は、そこでも、「夜明けの行灯(あんどん)!、お前がいればかえって邪魔だ」と、仲間からいじめられました。そして親方に「あの役立たずを何とかして下さい」と社員が抗議をする様になりました。

小さな貨物船に食堂を出していた親方は、少年をその船に乗せる事にしました。船の食堂で働く事になった少年は、ここでも同じでした。「お前なんか、海に落ちて死んでしまえ」と迷惑がられました。

そんなある日、東南アジアからの航海中、大きな嵐に出会い船は近くの港に避難する事になりました。しかし暴風雨と高波に阻まれ港に近づけません。その内大きな音と共に浸水が始まり、船が傾き出しました。

ポンプをフル回転し排水しますが、水かさは更に増えてゆきます。全員がバケツまで手にして水を汲み出しましたが、追いつきません。全員が「もうダメだ」と思い始め
た頃です。

今まで増え続けていた浸水が止まり、水かさが減ってきました。諦めかけていた誰もが「助かった」と思い、必死に水を汲み出し、命からがら やっとの事で港にたどり着きました。

上陸したとき、あの少年がいない事に気付きました。みんなは「あの嵐で、海にでも落ちたのだろう」「あいつがいなくなって生々(せいせい)する」と、誰ひとり彼の心配をする者はいませんでした。

そして船は修理の為にドックに入りました。そして船底を見た全員の目に映ったものは、船底にあいた亀裂に、自らの体を入れて死んでいる少年の遺体でした。乗組員を救うため、自分の命を犠牲にして浸水を防いでいたのです。

今まで何の役にも立たず、人から馬鹿にされ続けた少年が、教会で覚えたたった一つの聖句、「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」。これを実践しました。

彼の命と引き換えに、船と乗組員全員の命が救われました。今まで馬鹿にし続けた誰もが、自分たちの行動を悔いて涙を流しました。彼の行いを通して本当の愛を知った乗組員の多くがクリスチャンとなり、また彼の愛に心を打たれた何名かは、牧師や伝道師となりました。


多くの知識も必要です。しかし行動の伴わない知識は、傲慢さを積み上げるだけのものとなります。たった一つでも、内にある正しい事を実践するとき、命の炎が燃えあがります。

相場にあっても、多くのテクニカル分析を勉強する事も良いかもしれません。しかし、一つの方法を完全に実践すること、これが大きな収穫の素となります。安くて人気のない時に買い、高くなった時に売る、こんな子供でも分かる簡単な方法の中にも大きなヒントが隠されているかも知れません。




 



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