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  (No.9)

自らを制し治める人
当たり前の事を行う
失敗を肥やしにする
信じ切ること
言葉は命をもつ
自らの場所を知る
知恵は生かすもの
本物を見る
感謝は成功を生む

継続は勝利のもと
生きて働くことば
兆しを捉える
本当の価値とは
勝利者の共通点
心のゆとり
変化をつかむ
危機管理
賜物を活かし用いる



感謝は成功を生む

 



「親の意見と茄子(なすび)の花は、万に一つの仇もない」

いつの世にも変わるものと変わらないものが存在します。この諺は、親は子を本当の愛で導き、本人のため最善をなし、決して嘘がないことを言っています。

しかしこの言葉も、昨今の事件報道を見る限り、色が褪せつつある様に思えます。親がわが子の毒殺を計ったり、子が母親を撲殺したりと、言葉に詰まる悲惨な事件が起こっています。

また世の中も今、大きな変革期を迎えています。かつての常識が非常識になり、今までの積み重ねた経験や知識が根底から覆ると言った状況も起きています。

年功序列の社会で将来に望みを託し、低賃金と過酷な労働にあまんじた年代の人達が、やっと報われると思った矢先、組織や雇用構造が変わったり、高額な保険料を徴収されながら、システムが破綻し全てが無になる可能性すらないとは言い切れません。

商売の形態も大きく変わろうとしています。旧態依然、昔ながらの方法では事業も商売も成り立たたず、撤退や縮小を余儀なくされる企業や商店が後を絶ちません。又一方で、インターネットで事業を興し、経費を掛けずに、店舗販売に勝る収益をあげる例もあります。過去に経験した事のない新しい何かが起ころうとしている時代であると言えます。

相場の世界にも大きな変化が現れています。国際化と投資家層の変化に加え、コンピュータを用いたシステム売買が大きな地位を占める様になりました。罫線や勘と経験に頼った、昔ながらの売買法が通用しなくなった事は否めません。また売買手数料の自由化に伴い、コンピュータを利用した、デイ・トレードなる日計り売買が見られる様にもなってきました。

この新しい相場環境の中にあって、先人の「教え」や「ことわざ」「格言」は生かす事が出来るのでしょうか。格言には、その人の人生を賭けて生まれた言葉もあれば、特定の場面でのみ通じる言葉もあります。

時代が大きく変わろうとも、売買するのが「人」である以上、先人達が経験や体験を通して得た「相場の知恵」を無視する事は出来ません。また今後も生き続けるに違いありません。相場が続く限り、悲喜交々の場面で、新しい時代に合った格言が生まれる事になります。

しかし自らのしっかりした投資法(投資基準)を持たない人が、いたずらに相場格言を用いるとき、故人の知恵が邪魔になり、自らの「慰め」や「逃げ場所」になる場合もあります。

損失を恐れる余り、売るべき場所でない初動を売り、「利食い千人力」の言葉に、自らの失敗を慰めたり、目標値に到達した銘柄に「もうはまだなり、まだはもうなり」の言葉をかざして、売却を見送り、「売りの旬」を逃がしてしまったりします。「もっと儲かる」と言う欲の囁きに負けてしまった結果の失敗です。格言を正しく用いて、自らの確かな投資スタンスを助ける知恵として生かしたいものです。

売買技術に関する言葉は別にして、自らを吟味する言葉に次の様なものがあります。

■いのち金には手をつけるな
■相場のカネとタコの糸は出し切るな
■人の行く裏に道あり花の山
■判断を誤るのは常、それを修正しないのが異常
■人が売る時に買い、人が買う時に売れ
■売りは早かれ、買いは遅かれ
■相場のことは相場に聞け
■利食い千人力
■休むも相場
■強気も弱気も儲けはできる。しかし欲張りはダメ

〔いのち金には手をつけるな〕
投資に限らず何事にも余裕が必要です。余裕があるとないでは、正しい判断さえ出来ず間違いを犯すもとになります。まして近い将来に必要な資金を相場に投入するのは危険です。生活の土台を揺るがす資金には絶対手を付けない、これは投資の鉄則です。

〔相場のカネとタコの糸は出し切るな〕
資金の全てを投資したり、同一銘柄に集中投資する事も再起不能と言う大きな罠にはまる可能性があります。相場世界では一寸先何が起こるか分かりません。少々の利益は犠牲にしてもリスクを押さえ、安全な方法を取らねばなりません。資金配分と同時に危険分散を考えた投資計画が、投資の成果を大きく左右する事になります。

〔人の行く裏に道あり花の山〕
〔人が売る時に買い、人が買う時に売れ〕
人は絶えず周りを見て安心したり、不安になったりします。皆んなが買っている、儲け損なってはならないと追随買いをします。仮に評価損が発生しても、「みんなが損をしているのだから」と自らを慰めます。この格言は危険を犯して大儲けをせよと言う事ではありません。市場が強気一辺倒で買い人気旺盛の時に売り、総弱気で超閑散の時に買う。これが相場で勝利者となる基本です。大勢と共に歩み、滅びの中で共に傷を舐めあう事は避けたいものです。「赤信号 皆んなで渡れば怖くない」、皆んなで渡ってもやはりコワイものです。

〔売りは早かれ、買いは遅かれ〕
「上がり続けている株はもっと上がる」と思いたいのが人情です。運良く手持ち銘柄が仕手化した時など有頂天になり、売らなければならない処で、大量の追撃買いをしてしまいます。買った処が天井で、あとは奈落の底へ真っ逆様と言う事になるやも知れません。また安いからと飛び付き買いをしたが、まだ底が深かったと言う事もあります。下がらないまでも、長期間の横這い塩漬けを経験する事も少なくありません。

〔相場のことは相場に聞け〕
この言葉を誤解してはいけないのは、業績や株価の位置を無視して、相場に付く事ではありません。業績が良くない銘柄にも、好業績の銘柄にもそれぞれのリズムがあります。業績が良くない場合は売買銘柄から外す事も方法ですが、好業績でない事を知った上で、相場リズムに乗るのも投資方法の一つです。低位株投資の多くがこのリズム(株価周期)を利用します。また株価が安い分、利益効率が上昇します。

〔判断を誤るのは常、それを修正しないのが異常〕
人は同じ過ちをまた犯してしまう事が少なくありません。同じ過ちを二度犯さないこと、これが一つの壁を乗り越える知恵となります。過ちや失敗がない事を誇ってはいけません。失敗や過ちはあって当たり前、多ければ多いほど、将来の継続した成功が近付いた事になります。その為の条件はただ一つ、間違いを修正する事です。

〔利食い千人力〕
金持ちとそうでない人がいました。金持ちは毎日札束を数え、もっと貯まってから使おうと、我慢、我慢の生活をして莫大な財産を残して一生を終えました。一方そうでない人は、必要には気前よく使い、悠々と一生を終えましたが、後には財産は残りませんでした。この二人どちらが本当のお金持ち? 評価益と言う使えないお金より、使えるお金になって初めてそれが「利益」と言う名前に変わります。「もっともっと」と言う欲が働くと全てが絵に描いた餅となってしまいます。心を見張り、注意したいものです。

〔休むも相場〕
相場にはリズムがあり周期があります。上昇相場もあれば下降相場もあります。また波乱相場や底練り相場もあります。相場は機敏に行動しなければならない場面もあれば、ゆっくり「待つ」場面もあります。それに加えて「休む」と言う場面が訪れます。スコールの中を走ってずぶ濡れになるより、ゆっくり休んで雨上がりの清々しさの中を行くのが、相場世界で生きる住人の知恵です。

(強気も弱気も儲けはできる。しかし欲張りはダメ)
相場はうねりを造り変動します。そこでは強気(ブル)も弱気(ベア)も正しい売買は成功します。しかしその強気と弱気に「欲」と言う魔物が付いたとき、強気も弱気も全てが、落胆と絶望に変わってしまいます。また欲は相場を見る目を曇らせます。感覚に頼った小手先売買、欲につられた深追い売買は是非避けたいものです。

相場に関わる者が絶えず心掛けなければならない言葉は他にも色々あります。中でも大切なことは、自分自身を律することではないでしょうか。格言の中で余り耳にしない言葉ですが、大切なことばがあります。


■与えられたものに満足(感謝)する

人は他人が儲ける事を余り気持ち良く思いません。人から「この銘柄は儲かる」と聞けば気になり、他人が得ようとしている利益を自分も得たいと欲が働きます。証券会社へ持ち株を売りに出掛けたにも関わらず、逆に薦められた株を買って帰る。これも欲のなせる業です。

相場で安定した売買を継続するには、「自分に与えられたもの(利益)に満足し、感謝すること」、これはこの世界で生き残る大切な知恵と言えます。人間の欲には限りがありません。同じ銘柄を売買しても、短期間で大きな利益を得る人もいれば、長期間を掛けながらも少ししか利益を得られない人がいます。

善人にも悪人にも「陽を照らし」「雨を注いで下さる」神様は相場でも平等です。小さな器には少しだけ、大きな器にはそれに相応しく注ぎ、どちらも一杯に満たして下さるものです。

与えられた利益に感謝するとき、その益は次の実りを約束する糧(かて)となり、感謝されない益は実りを妨げる毒となります。少ない利益に不満を言う前に、利益を受ける自らの器を大きく造る事が先のようです。


■2000年前のお話です。(聖書から)

ある家の主人が、自分のぶどう園に労働者を雇うために、夜が明けると同時に、出かけて行った。彼は労働者たちと、1日1デナリ(現在の約1万円)の約束をして、彼らをぶどう園に送りました。

それから9時ごろに出て行って、他の人々が市場で何もせずに立っているのを見ました。そして、その人たちに言いました、『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。相当な賃銀を払うから』。そこで、彼らは出かけて行きました。

主人はまた、お昼の12時ごろと3時ごろとに出て行って、同じようにしました。5時ごろまた出て行くと、まだ立っている人々を見たので、彼らに言いました、『なぜ、何もしないで、1日中ここに立っていたのですか』。

彼らが『だれもわたしたちを雇ってくれませんから』と答えたので、その人々に言いました、『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい』。

さて、夕方になって、ぶどう園の主人は管理人に言った、『労働者たちを呼びなさい。そして、最後にきた人々からはじめて順々に最初にきた人々にわたるように、賃銀を払ってやりなさい』。

そこで、5時ごろに雇われた人々がきて、それぞれ1デナリずつもらいました。ところが、最初の人々がきて、もっと多くもらえるだろうと思っていましたが、彼らも1デナリずつもらっただけでした。もらったとき、家の主人にむかって不平をもらして言いました、『この最後の者たちは1時間しか働かなかったのに、あなたは1日中、労苦と暑さを辛抱したわたしたちと同じ扱いをなさいました』。

そこで彼はその1人に答えて言いました、『わたしはあなたに対して不正をしてはいない。あなたはわたしと1デナリの約束をしたではないか。自分の賃銀をもらって行きなさい。わたしは、この最後の者にもあなたと同様に払ってやりたいのだ。

自分の物を自分がしたいようにするのは、当りまえではないか。それともわたしが気前よくしているので、ねたましく思うのか』。このように、あとの者は先になり、先の者はあとになるであろう」。
    
(マタイの福音書 20章1節〜16節より)


相場の世界は朝からでも、昼からでも参加出来ます。朝から参加した人が収穫が多いとは限りません。労働時間である投資期間に収入が比例するものでもありません。最後に参加した者が大きな利益を受け取るのを妬んだり、気にする事は相場では厳禁です。自らの器に相応しく与えられた実り(利益)に感謝して、次の相場に最良の状態を引き継ぐ事が大切です。

売却した後に株価が上がると「損をした」と言う人がいます。そのような人は相場に参加する資格はありません。その人には必ず、言葉通りの「損」が用意されています。全ての事に感謝するとき、ことごとく働いて益となり、心さわがない「正しい判断」が備えられ、30倍、60倍、100倍の祝福となって返ってくるものです。

先の者が後になったり、後の者が先になる事が常の世界です。そこでは他人と比較しない事が命をつなぐ基(もとい)となります。この世では、人は周りと比べて自分を測ります。

自分は自分しかいない事を悟り、欠点を嘆くより、他人にない自分の長所を生かす知恵を求めること、これが自らの力を、それ以上に発揮出来る素となるよう
です。


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