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  (No.15)

自らを制し治める人
当たり前の事を行う
失敗を肥やしにする
信じ切ること
言葉は命をもつ
自らの場所を知る
知恵は生かすもの
本物を見る
感謝は成功を生む

継続は勝利のもと
生きて働くことば
兆しを捉える
本当の価値とは
勝利者の共通点
心のゆとり
変化をつかむ
危機管理
賜物を活かし用いる



心のゆとり

 



ゆとりがあることは素晴らしいことです。仕事に、家庭に、人生に、ゆとりは人を柔和にし、思いやる心が芽生え、そして決断を必要とする時にも 冷静な判断や知恵を生み出します。

人は誰もが余裕やゆとりを求めますが、今の時代自分の生活と身を守るのが精一杯の人も少なくありません。余裕のある人と そうでない人では、同じ事をしていても結果に大きな開きが生じる場合があります。夫婦間、子育てや仕事にも「ゆとり」が果たす役割は決して小さくはありません。

人助けや助言も自分に「ゆとり」が無ければそれどころではありません。励まし語る言葉にも、聞く人に勇気と力を与えるか、それともタダの同情に終わるか、その人が持つ余裕のほどが顕著になります。

では「ゆとり」を持つためにはどうすれば良いのでしょうか。
一番大切な事は「夢を持つ」ことです。夢つまり目標や目的のない人生は滅びの道を歩むのと変わりません。私達の人生に「夢」は命を育てる糧となります。

次は持った夢が実現する事を信じて「希望」を持つことです。
「どうせダメだから」「実現するわけはない」「やって見たがダメだった」否定的な思い、否定的な言葉は避けなければなりません。否定的な思いや言葉は一番大切な「夢」を消してしまうからです。

人が夢や目標を持てば 求める心が変化し 熱心になります。実現に向かって知恵や確かなものを求める様になります。また夢や目標は軽率な行動を戒め、真偽を見分ける慎重な目を養ってくれます。

あとは夢の実現のため、今できる事から始めるだけです。大きな事をする必要はありません、自分で出来る事をその中で継続することです。夢に導かれ、精一杯努力する事や頑張る事は素晴らしい事です。しかし越えた無理は絶対にしない事が重要です。


「努力」や「頑張り」が喜びや楽しみの囲いを越えて「義務」となったり「無理」になってはいけません。やはりこの「無理」や「義務感」も、自らの夢を霞(かすみ)に変えてしまいます。

「夢」が「希望」を持ち、その夢に向かって「出来る事から始める」とき、心に 本当の「ゆとり」が芽生えます。それに加えて「継続」というスパイスが、今の現状を「現実の不安」から「実現の確信」へと味わいを変えてくれます。

しかし芽生えた「ゆとり」や「余裕」には賞味期限があります。いつまでも用いないで放っておくと、この「ゆとり」は腐敗して「暇(ひま)」となり、嫌な臭いを放ちます。グチや批判から始まり、否定的な言葉で身を飾り、終いには、人の不幸を魚に宴を開く厄介者になってしまいます。

人生を本当に充実させるには、この「ゆとり」の旬を逃さないことです。相応しい時に相応しい事を行い、決して先に延ばさない。努力はしても無理をしない、確信を持った事を継続する、これらの言葉に集約されます。

いよいよ夢が実現した時、そこには求めたものに添えて、更に価値ある何かが備えられている事を発見することになります。

「持つ者は更に与えられ、持たない者は持っている物まで取られる」(聖書)「ゆとり」を持つ事、それは相場に限らず人生成功へのパスポートとなります。


山間の小さな村に孝行者の息子と年老いた病弱な母親が住んでいました。二人は田畑を耕し野菜や果物を栽培して生計を立てていました。孝行息子は暗い内から、田畑で穫れた野菜や芋や果物を荷車に積み町へ売りに出かけます。

しかし町に出るには大きな険しい山道を越さなければなりません。年老いた母親に少しでも栄養のあるものを食べさせたい、よい薬を飲ませたいと、彼は雨の日も雪の日もこの山を越え続けました。

危険な坂道を荷車を引くのは大変な労苦でした。肩や手に血がにじむのも常のこと、この山がなければどれ程楽だろうか、坂道に出会う度に思いました。汗と涙で越えるこの山道が平らな道ならば行商をして帰る時間が大きく短縮されます。

そんなある日、彼は幼い頃イギリスから来たと言う宣教師の事を思い出しました。娯楽もなく子ども達を集めて宣教師が語る聖書の話が楽しみでした。その話の一つに、「辛子(カラシ)種の一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、歩いて海に入れと言えばその通りになります」と言う言葉がありました。

彼は当時、心から信じて祈れば神は必ず願いを叶えて下さると 子供心にも信じていました。しかしその後 そんな事はすっかり忘れてしまい、20年も経った今、初めて思い出しました。また、「人には出来ない事も神にはできる、神にはどんな事でもできるのです」と言う聖書の言葉も思い出しました。

「そうだ私は忘れていた。神には出来ないことはない。」とその時から彼は幼い日の信仰を取り戻しました。そして荒れた坂道を荷車を引きながら祈りました。

「神さまあなたのことばを信じます」
「この山よ、おまえに命ずる。海に入って平らになれ!」と信じて命じ続けました。山を越える度に彼は神に祈り、山に命じました、くる日も くる日も。

しかし何ケ月経っても何の変化もありません。やっぱり山を動かすのは神さまにも無理かもしれない。宣教師の話は聖書の「おとぎ話」だったのかも知れないと自を納得させようとしました。

誰が考えても、この山が動いて海に入るわけはない、こんな馬鹿げたことはもう止めようと心で思いました。しかし何故か「信じて求め続けなさい、必ずそうなります」、宣教師の言葉が風の中から聞こえて耳から離れません。夜、疲れて眠る夢の中にも宣教師の声が聞こえる様になりました。

彼はもう一度神に立ち返ろうと決心しました。
「何があっても宣教師が語った神の言葉を信じて見よう」彼は心に決めました。

「神さま私の不信仰をお許し下さい 何が起ころうとあなたを信じます。」 「神さまがこの山を取り去って下さる事を信じます」

「この山よ、動いて海に入れ!」
荷車を引きながら 彼は毎日毎日神に祈り、山に命じ続けました。

それからの彼は不思議な事に 心に大きな変化を感じました。毎日の険しい坂道が苦痛でなくなりました。現実の険しいさは変わりませんが、神さまが自分の祈りを聞いて下さると言う「確信と希望」が、彼に力を与え喜びと平安を与えました。

何度か季節がめぐり、山が動かなくとも神が共に居て下さると言う確信で、彼の心に「ゆとり」が出始めた春のことです。山の様子が変です。

数百台ものブルトーザーが運び込まれ山を削り取り始めました。そして昼夜を通した突貫工事が始まり、1年後にその山は完全に姿を消してしまいました。

削り取られ平らになった山の後には大きな空港の建設が予定され、その横には彼が祈り続けた通りの平坦な道が現れました。それに加え 彼らの田畑は空港ターミナルに面する一等地として大きな変身を遂げる事になりました。

祈りを通して奇跡を手にした彼が後に知った事ですが、削り取られた山は海の埋め立てに使われ、そこにも新しい島が出来ていました。

険しい山道を不平不満で引く荷車は、重く苦しいものでした。しかし神の約束を信じ心に確信と言う「ゆとり」を持ったとき、現実の苦しさが希望と言う喜びに変わりました。そして継続と言う、祈り続ける力が加わり、願いを越えた奇跡を受け取る事ができました。




「ゆとり」は相場にも欠かす事は出来ません。「資金のゆとり」、「知識のゆと
り」、「技術のゆとり」、どれも、あるとないでは結果に大きな違いが生じます。資金が枯渇寸前では投資計画も儘なりません。また時間がなければ、銘柄の調査も疎かになり、まして投資の勉強など出来るわけがありません。知識も売買技術にも「ゆとりと余裕」が必要です。

しかしそれ以上に大切なのは「心のゆとり」です。心のゆとりは全てを越えて働き、相場はもちろん人生にまで大きな影響を及ぼします。資金があり 知識が豊富で 売買技術に長けた人でも、心にゆとりがないと、 それらを正しく用いる事が出来なくなってしまいます。

「ゆとり」に秘められた夢が「求める力」を生み出し、希望が暗い現実の労苦を楽しみと喜びに染め上げて「確信」へと導きます。この「確信」が、心から真剣に求める行動の原動力となって継続を助けます。

心のゆとりは確信と言う土台の上に花ひらきます。確信のない心には、本当の余裕は生まれません。そこでは誰の目にも明らかな 大きな変化すら見落として誤った選択をしてしまいます。その結果 持っていた筈の自信までが崩壊し、全てが「台なし」になってしまう事もあります。

確信と言う相場の土台は、確かなデータ、確かな情報、確かな知識、確かな売買法、確かな手順、確かな時期、これらの確かな資材で築かれます。言い換えれば言い訳の必要がない「本当の正しい売買」が積み重なって大きな「ゆとり」が生まれます。

「旬のゆとり」を持つこと、これも相場に生きる知恵の一つとなります、心したいも
のです。




 



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