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  (No.18)

自らを制し治める人
当たり前の事を行う
失敗を肥やしにする
信じ切ること
言葉は命をもつ
自らの場所を知る
知恵は生かすもの
本物を見る
感謝は成功を生む

継続は勝利のもと
生きて働くことば
兆しを捉える
本当の価値とは
勝利者の共通点
心のゆとり
変化をつかむ
危機管理
賜物を活かし用いる



賜物を生かし用いる

 



世の中には、僅かなものを用いて成功する人もいれば、有り余るものを持ちながら、それを生かし切れない人もいます。経験不足から決断がつかなかったり、失う恐怖に捕らわれたり、勉強が億劫であったり、慣れ親しんだ環境が壊れる不安など、実を結ばない理由は千差万別です。

人は自分に備わった何かを持っています。それが他人にない優れた能力であったり、人より劣る僅かな能力である場合もあります。相場で言えば、「分析力」、「売買技術」、「資金管理」、「果敢な行動」などに当るかも知れません。

成功する人の多くは、「肯定的な思考」を持ち「ものを生かせる人」と言っても過言ではありません。勿論、「本物を求める」、「チャンスを生かす」、「機敏に行動する」、「決して諦めない」など、成功の礎石を備えている人が勝者の道を歩みます。

反対に 失敗する人は否定的な思考が絶えず優先し、そこから出来ない理由を探します。そして言い訳作りの名人です。 「資金がない」「技術がない」「人材に乏しい」「環境が悪い」「時間がない」など、失敗を作り出す条件やグチが後を絶ちません。

勝者はほんの小さな可能性をも見逃しません。辛子(からし)種の様に、植物の種の中で一番小さく、目にも見えない小さな種(可能性)でも成長すると鳥が巣を作るほど大きな木になります。それは私達に与えられている身体や健康、時間や環境など全てに同じ事が言えます。自分にあるもの(賜物)を働かせることが、人生の勝利へ踏み出す一歩となります。


〔下半身を失った大リーガー、ボブ・ウィーランド〕

活躍が期待され、米、大リーグのフィリーズと交渉中だったボブ・ウィーランドは、軍隊に徴兵され1969年、23才でベトナムへ送られました。そして2ケ月後、サイゴン近郊をパトロール中に地雷を踏み、野戦病院で意識を回復した時には、彼の下半身は消えていました。

「失意の中、日々生きているのが本当に奇跡だった。」
「まるで一日中、死神と戦っているようだった。」
「死神は私の命を狙い、落ち込ませ、私の人生はもう終わったと説得し続けた。」と語っています。

「しかし、神はまだ私に上半身を残された。」
「きっと何かの役割を与えられているに違いない。」
「何か出来る、決してスポーツマンとしての生命も絶たれたわけではない。」

彼は残された上半身を鍛え、全米ウエイトリフティング選手権に向けてトレーニングを続けました。そして遂に世界新記録を樹立します。しかし下半身のない彼が、靴を履いていないことが規則に触れ、チャンピオンは剥奪されてしまいます。

チャンピオンを無くしても、彼は決してめげる事はありませんでした。神が私のために 新しい扉を開いて下さっている、チャンピオンを剥奪されたのも きっとその為だと信じていました。

そして今度は残っている手でアメリカ大陸横断にチャレンジします。1982年9月に、3年8ケ月をかけてアメリカ大陸4500キロ走破を達成します。道中、「やれば出来た」「あるものを生かせば、決して足りない不自由はない」「足りないが故に得られた宝がある」と何百回もメッセージを語り、全米の障害者をはじめ多くの人々に希望と感動を与えました。

無いものを探し求めるより、あるものを生かす処に奇跡が芽生えます。誰もがを持っている小さな器官、「口(くち)」一つを取っても、肯定的に働かせる人とそうでない人では、その将来に大きな開きが生じます。

相手の長所や可能性を発見し肯定的な言葉で口を働かせる。それは相手を生かし育てるばかりか、思いもしない隠れた才能が目覚め成長をはじめる事があります。「智者賢者」は言葉によって育ちます。非難や悪口、うわさ話で人を傷つけ、否定的な言葉で環境を塗り固めれば、他人ばかりではなく、自らをも敗北へ導いてしまいます。

先ず 今あるもの、自分が持つものを生かし働かせる。これが「無」から「有」を生む奇跡の素となります。それを行う人は更に与えられ、そうでない人は持っているものまで失う結果になってしまいます。成功は神からの賜物(与えられたもの)と努力(働き)のかけ算であると言われます。賜物がゼロでない限り、努力(働き)を掛けた相応しい「成果」が用意されています。

五体を働かせる、知恵を働かせる、感覚を働かせる、そして労を惜しまない。私達の身体や持ち物、知恵や環境など、全て働かせ用いるために与えられたものです。そこに現れる試練や労苦は 多くの「知恵」や「工夫」を生み出すと同時に、無数の傷で輝くダイヤモンドの様に、自らを勝利に輝かせる研磨剤となります。

「出来れば、面倒な努力や手間は避けたいのが人情 ・・ 」
気持ちは理解できますが、間違いなく敗者への道を選ぶ事になってしまいます。

人からよく「株は何(銘柄)を買えばよいか」と 問われます。言い換えれば「何もしないで儲かる銘柄を教えろ」と言うことになります。

相場で勝つことはそう難しくはありません。しかし勝ち続ける事は至難の業と言わねばなりません。達人と言われる専門家でも同じです。そんなに甘くないのがこの世界です。

簡単に耳にした銘柄で勝ち続ける事は不可能です。全てとは言いませんが、投資の書籍で名を馳せる、所謂「先生」と言われる人達も、相場で確実に勝ち続ける事が出来るなら、決してそのノウハウを公開したりせず、黙して売買に徹するのが道理です。

投資で失敗したり、継続した儲けの難しさを知るが故に出版で儲ける、これが本音のところではないでしょうか。著者はこの方法で相場に失敗したのかと、自らの売買の肥やしとする位の気持ちで、つまり承知の上で書籍を読み、また盲従しない知恵を働かせることも必要です。

書籍と同様、株式ソフトにも同じ事が言えます。完全に勝ち続けるシステムはないと断言できます。いかに道具として使いこなせるかが一番の選択肢となります。「儲けるソフト」より自らの賜物を働かせる、よき助けとなるソフトを選ぶことが大切です。

相場に関わる基本情報(四本値、出来高、信用データ、開示情報・・ )などは 誰にも公平に与えられています。自分の手にある正しい情報を生かさず、いくら仕手情報や裏情報を求めても最後は惨めな姿をさらす事になってしまいます。

歪める事が出来ない正しい情報データを 最大限に用いる。あるものを生かす事から全てが始まります。静思の中で自分の原石を磨く者となりたいものです。やがてそれは光を放ち、世や人が見つけてくれる時がすぐにやって来ます。




全世界のベストセラー「聖書」にも、人に与えられた賜物を タラントと言う貨幣にたとえて語っています。

天国は、ある人が旅に出るとき、その僕どもを呼んで、自分の財産を預けるようなものである。 すなわち、それぞれの能力に応じて、ある者には五タラント、ある者には二タラント、ある者には一タラントを与えて、旅に出た。

五タラントを渡された者は、すぐに行って、それで商売をして、ほかに五タラントをもうけた。二タラントの者も同様にして、ほかに二タラントをもうけた。しかし、一タラントを渡された者は、行って地を掘り、主人の金を隠しておいた。

だいぶ時がたってから、これらの僕の主人が帰ってきて、彼らと計算をしはじめた。すると五タラントを渡された者が進み出て、ほかの五タラントをさし出して言った、『ご主人様、あなたはわたしに五タラントをお預けになりましたが、ごらんのとおり、ほかに五タラントをもうけました』。

主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。

二タラントの者も進み出て言った、『ご主人様、あなたはわたしに二タラントをお預けになりましたが、ごらんのとおり、ほかに二タラントをもうけました』。

主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。

一タラントを渡された者も進み出て言った、『ご主人様、わたしはあなたが、まかない所から刈り、散らさない所から集める酷な人であることを承知していました。そこで恐ろしさのあまり、行って、あなたのタラントを地の中に隠しておきました。ごらんください。ここにあなたのお金がございます』。

すると、主人は彼に答えて言った、『悪い怠惰な僕よ、あなたはわたしが、まかない所から刈り、散らさない所から集めることを知っているのか。それなら、わたしの金を銀行に預けておくべきであった。そうしたら、わたしは帰ってきて、利子と一緒にわたしの金を返してもらえたであろうに。さあ、そのタラントをこの者から取りあげて、十タラントを持っている者にやりなさい。

おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。この役に立たない僕を外の暗い所に追い出すがよい。彼は、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう』。 (聖書より)


人にはそれぞれに相応しい賜物が与えられています、タラントを土に埋める愚だけは避けたいものです。




 



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