■ダビデが呼び求めた神様
「詩篇 43篇 1節〜5節」 43: 1
神よ。私のためにさばいてください。私の訴えを取り上げ、神を恐れない民の言い分を退けてください。欺きと不正の人から私を助け出してください。 43: 2
あなたは私の力の神であられるからです。なぜあなたは私を拒まれたのですか。なぜ私は敵のしいたげに、嘆いて歩き回るのですか。 43: 3
どうか、あなたの光とまことを送り、私を導いてください。あなたの聖なる山、あなたのお住まいに向かってそれらが、私を連れて行きますように。 43: 4
こうして、私は神の祭壇、私の最も喜びとする神のみもとに行き、立琴に合わせて、あなたをほめたたえましょう。神よ。私の神よ。 43: 5
わがたましいよ。なぜ、おまえは絶望しているのか。なぜ、御前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の救い、私の神を。
今日の本文(奉読個所)は、ダビデが聖殿から追い出され、遠く遊離する時に記した詩です。自分が会っている圧制からの救いと、エルサレム聖殿での礼拝を回復してくださいと切に祈る内容です。この時、ダビデが呼び求め、賛美した神様はどのようなお方であるのかを調べて見ることによって、お恵みを分かち合いたいと思います。
第1番目に、ダビデは、「義であられる神様」を呼び求めました。ダビデの勇猛は、正義であられる神様に拠り頼むことに起因したものでありました。ダビデは、正義の味方である者が神様の方に立つ者であり、神様は正義の人を圧制する不義の勢力を懲らしめられると確信していました。神様を信じる者が究極的に勝利するのは、この正義であられる神様を信じるからなのです。
第2番目に、ダビデは、「力となられる神様」を呼び求めました。ダビデは羊を飼う牧童の時から、日常の生活の中で神様の大いなる御力を体験し、神様に拠り頼んで大きな力を得ました。それでダビデは、誰も敵対することのできないゴリヤテまでも、一気に倒すことができたのです(サムエル記第一17:4〜47)。
天地万物を創造され、力の根源であられる神様がいつも彼と共に居てくださったので、彼は非常に強い力を持っていたのです。
第3番目に、ダビデは、「光と真理であられる神様」を呼び求めました。ここで言う「光」は、「恵みの光」であり、「真理」は、「御言葉」を意味します。キリストは私たちの暗い心の中に命の光として来られ、この光は、即ち恵みの光でありました。そして、御言葉の霊であられる聖霊様は、親しく御言葉で私たちを導いてくださり、御言葉の中で神様に会うことができるようにしてくださいます。
第4番目には、ダビデは、「もっとも喜びとする神様」を呼び求めました。「もっとも喜びとする」ことは、「至極安楽な状態」を言います。主だけに仕える時、この世の誰もが世の中では味わったことがない、まことの喜びを体験しながら生きて行くことができます。ダビデは、そのもっとも喜びとする神様の傍に行くことを切に望んだのです。
私たちも、ダビデが呼び求めた神様を私たちの人生の中で毎日呼び求めながら、その御答えを通して、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康になる、神様の祝福をいただいて生きるようにならなければならないのです。
お祈り
主である、わが神様!
主の御名は義であられ、力であられ、光と真理となられ、安楽と喜びとになられます。毎日、主の御名を呼び求めることにより、たましいに幸いを得、すべての点でも幸いを得て、また健康であるように、私たちを助けてください。
イエス様の御名によりお祈り申し上げます。アーメン!
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