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10月1日



将来臨む神様の審き

「詩篇 149篇:1節~4節」
149:1
ハレルヤ。主に新しい歌を歌え。聖徒の集まりで主への賛美を。
149:2
イスラエルは、おのれの造り主にあって喜べ。シオンの子らは、おのれの王にあって楽しめ。
149:3
踊りをもって、御名を賛美せよ。タンバリンと立琴をかなでて、主にほめ歌を歌え。
149:4
主は、ご自分の民を愛し、救いをもって貧しい者を飾られる。




ヒットラーのナチ政権が、数多いユダヤ人たちを虐殺した第2次世界大戦当時、従軍記者及び作家として活動していたユダヤ系ハンガリー人‘エリウイゼル’は、同族が無残に死んでいくのを見ながら、大きな苦痛と懐疑に落ち込んでいました。

ところが、或る日彼は、大道路で竿の上端にユダヤ人男女おのおの一人ずつと、一人の幼い少年の首を吊り下げておいて、その下を通るように人たちを脅かし威すのを目撃するようになりました。

この時、‘エリウイゼル’は大声で叫びました。「一体、神はどこに居られるんだ?」

すると、ナチ党員の一人が図々しく答えました。「神は今、あの死んでいく少年と一緒に死んで行きつつあるんだよ。」

遂に、第2次世界大戦が終わりました。ナチ党は完全に解体され、数多くのユダヤ人たちを虐殺した主犯たちは自殺するか、または隠れてしまいました。その中に約600万名のユダヤ人たちを虐殺することに主動的に活躍した‘アヒマン’は、ひそかに逃げて、頭の髪の形を変え、髭をのばし、名前まで改名して、或る静かな田舎に隠れていました。

しかし‘アヒマン’は、結局には執拗に追跡していたユダヤ人秘密警察に逮捕され、最高裁判所で、防弾ガラスの箱の中に入れられて裁判を受けるようになりました。

‘エリウイゼル’は、彼の“夜”と言う本の中で、このように語っています。「神はどこに居られるのか?神は今、‘アヒマン’を審いて居られる。」

 「マタイの福音書25章31節~33節」を見ますと、『人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来 るとき、人の子はその栄光の位に着きます。そして、すべての国々の民が、その御前に集められます。彼は、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け、羊を自分の右に、山羊を左に置きます。』と記録されています。

これは、将来、イエス・キリストがこの世にご再臨なされて、すべての人たちを審かれることを

予言している御言葉なのです。「コリント人への手紙第二5章10節」にも、『なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。』と記録されているのです。

ですから、私たちは毎日、神様の御前でますます正しい人生を生きて行くように努力しなければならないのです。





お祈り

主であられる、我らの父なる神様!

目に見えるものは暫くの間であり、目に見えない世界は永遠です。将来、キリストの審きの場で各々、善であれ悪であれ、各自行った通りに審かれることを忘れずに、私たち家族が皆、神様の御前でいつも正しく生きて行くように助けてください。

イエス様の御名によりお祈り申し上げます。アーメン!