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10月17日



■イザヤの召命

「イザヤ書 6章 1節~8節」
6: 1 ウジヤ王が死んだ年に、私は、高くあげられた王座に座しておられる主を見た。そのすそは神殿に満ち、
6: 2 セラフィムがその上に立っていた。彼らはそれぞれ六つの翼があり、おのおのその二つで顔をおおい、二つで両足をおおい、二つで飛んでおり、
6: 3 互いに呼びかわして言っていた。「聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。その栄光は全地に満つ。」
6: 4 その叫ぶ者の声のために、敷居の基はゆるぎ、宮は煙で満たされた。
6: 5 そこで、私は言った。「ああ。私は、もうだめだ。私はくちびるの汚れた者で、くちびるの汚れた民の間に住んでいる。しかも万軍の主である王を、この目で見たのだから。」
6: 6 すると、私のもとに、セラフィムのひとりが飛んで来たが、その手には、祭壇の上から火ばさみで取った燃えさかる炭があった。
6: 7 彼は、私の口に触れて言った。「見よ。これがあなたのくちびるに触れたので、あなたの不義は取り去られ、あなたの罪も贖われた。」
6: 8 私は、「だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう。」と言っておられる主の声を聞いたので、言った。「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」




今日は、本文(奉読個所)を通して、イザヤが神様の召命をいただく過程を勉強しながら、お恵みの御言葉を分かち合いたいと思います。

先ず、イザヤは絶望の中で万軍の主である神様にお会いしました。イザヤは、当時ユダを繁栄の道に導いたウジヤ王を相当に信頼していました。しかし、ウジヤ王は、末年に驕り高ぶるようになって、神様の神殿で香を焚く時に神様の怒りに触れてらい病で死んでしまいました。この事に大きく気落ちしたイザヤは、傷ついた心を抱いて聖殿に上って行って祈りましたが、その時、彼は幻の中で万軍の主である神様にお会いするようになったのです。

私たちも、私たちが重要視していた家族や、健康、物質などを失ってしまったら、イザヤのように絶望の中で嘆くようになります。そうした時、神様は、「おい、君、イエス・キリストがいるではないか。栄光の主、救いの主、力と権威の主を見上げなさい...!」と慰めてくださるのです。

次に、イザヤは、自分が罪人であることを痛く悟りました。神様にお会いし、主の栄光を見るや否やイザヤが悟った事実は、自分が罪人であり、不義な者であると言うことでありました。この時イザヤは、自分が誰に拠り頼まなければならないかが問題ではなく、自分の罪が問題である、と言うことを悟るようになりました。それで彼は、「ああ。私は、もうだめだ。」と嘆きながら、絶叫しました。

しかし、このようにイザヤが自分の罪を告白するや、直ぐに天使が、祭壇の上から火ばさみで取った燃えさかる炭を彼の唇に触れて、罪の赦しを受けるようにしてくれました。このように神様は、罪を告白し、傷ついた心で悔い改める人のすべての罪を赦してくださり、憐れみをほどこしてくださるのです。

悔い改めたイザヤは、自分の召命を悟りました。イザヤが罪の赦しを受けるや、神様は「だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう。」と言われました。

この世でもっとも価値がある人生は、イエス・キリストにあって変化された後、神様が与えて下さる召命をいただいて、その召命に従って生きる人生です。これが即ち、私たち人生の目標なのです。






お祈り

全能であられる、私たちの父なる神様!

預言者イザヤは、神様にお会いしてから自分の罪を告白し、神様の憐れみによって罪を赦していただき、自分の召命を悟りました。私たち家族も各々の召命を悟り、与えてくださった賜物に従って使命を果たすことができるようにしてください。

イエス様の御名によってお祈り申し上げます。アーメン!