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11月9日



■二つの種類のいちじく

「エレミヤ書 24章 1節~2節」
24: 1 バビロンの王ネブカデレザルが、エホヤキムの子、ユダの王エコヌヤと、ユダのつかさたちや、職人や、鍛冶屋をエルサレムから捕え移し、バビロンに連れて行って後、主は私に示された。見ると、主の宮の前に、二かごのいちじくが置かれている。
24: 2 一つのかごのは非常に良いいちじくで、初なりのいちじくの実のようであり、もう一つのかごのは非常に悪いいちじくで、悪くて食べられないものである。




今まで警告でだけ告げられた審きの予言が、遂に二回にわたったバビロン攻撃によって成就されました。第1回目は、B.C.605年、カルケミシュ戦闘を勝利に導いたバビロンのネブカデネザル王が数多くのユダヤ人たちを捕虜として捕らえて行き、第2回目は、B.C.597年、反バビロン政策を施行したエホヤキン王を懲らしめ罰するために侵略を敢行したネブカデネザル王が、ユダの優秀な頭脳の持ち主たちと王族たちを捕虜として捕らえて行った事件です(ダニエル書1:1~5参照)。

このような過程の中で、絶望に落ち込んだユダの民たちに、神様は良いいちじくと悪いいちじくに関する喩えを挙げて、ユダ全体が滅ぼされないことを暗示されることによって一筋の希望を植えつけてくださいました。

神様が見せてくださった幻の中でエレミヤは、宮の前に置かれている二つのいちじくのかごを見ました。多分そのいちじくのかごは初なりのいちじくの実として捧げる供え物であったようです。ところが、一つのかごには良いいちじくが入れられている反面、他の一つのかごには悪いいちじくが入れられていました。

それでは、良いいちじくと悪いいちじくは何を象徴するのでしょうか?

第1番目に、良いいちじくは、捕虜として捕らわれて行った人たちを象徴します。神様は、彼らがバビロンの捕虜生活を通して悔い改め、神様の許に立ち返るようになることを知っておられたので、彼らを導いて帰還させる、と約束なさいました。神様は、自分の罪を悟って悔い改める人々に恵みを施してくださり、絶望に見える状況の中で希望を吹き込んでくださいます。

ですから、私たちが挫折感に落ち込んでいる時には、その挫折感に打ち勝ち、神様の恵みに与るためにも神様だけを見つめなければならないのです。

第2番目に、悪いいちじくは、エルサレムに残っていた人々が、気が向かない生温い信仰で主に仕えたことを象徴します。彼らは主に拠り頼むことによってユダの当面している問題を解決しようとせずに、他国と同盟することで問題を解決しょうとしました。それで、彼らは神様から見捨てられるようになったのです。





お祈り

二つの種類のいちじくの喩えを通して、私たち自身を振り返るようにしてくださった、父なる神様!

私たち家族が皆、神様だけを見つめながら人生を生きる、良いいちじくとなるように導いてください。

イエス様の御名によりお祈り申し上げます。アーメン!