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11月14日



■神様だけを信頼しなさい

「エレミヤ書 39章:15節~18節」
39:15 エレミヤが監視の庭に閉じ込められているとき、エレミヤに次のような主のことばがあった。
39:16 「行って、クシュ人エベデ・メレクに話して言え。『イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。見よ。わたしはこの町にわたしのことばを実現する。幸いのためではなく、わざわいのためだ。それらは、その日、あなたの前で起こる。
39:17 しかしその日、わたしはあなたを救い出す。──主の御告げ──あなたはあなたが恐れている者たちの手に渡されることはない。
39:18 わたしは必ずあなたを助け出す。あなたは剣に倒れず、あなたのいのちはあなたの分捕り物としてあなたのものになる。それは、あなたがわたしに信頼したからだ。──主の御告げ──』」




たまに、クリスチャンたちは信じない人々から、「神様が本当に生きておられるのだったら、なぜ悪い人々があんなに栄え、大威張りで世の中を闊歩しているのにも、神様は、彼らをそのままにして置かれるのか?」と言う質問を受ける時があります。ところがこれは、不信者たちのみではなく、信仰の人たちの心の中にも、少なからず提起される疑問です。

今日の本文(奉読箇所)は、なぜ悪を行う者の横暴によって、義人が苦難に遭わなければならないのかに関して、明確に答えてくれています。

詩篇の記者は、『悪を行う者に対して腹を立てるな。不正を行う者に対してねたみを起こすな。彼らは草のようにたちまちしおれ、青草のように枯れるのだ。』(詩篇37:1~2)と言いました。悪を行う者の終末は、雑草がいくら生い茂っても、草取りの時に、農夫の手によって根こそぎにされ、直ぐに枯れてしまうのと同様であると言うのです。神様の審きの碾き臼は、人間の目には遅く回るように見えますが、悪をすべてみな粉にしてしまいます。ですから私たちは、不義が横行すると言って落胆したり、恨んだりせずに、歴史と運命を主管なさる神様を見つめなければなりません。

それでは、義人が行わなければならないことは何でしょうか?義人は、ひとえに神様だけを信頼しなければなりません。人間は、被害をこうむったら仕返しをしようとする、罪性を持っています。この邪悪な品性に自分を委ねて報復の悪循環に陥りますと、世の中は、直ちに荒廃してしまうでしょう。ですからわたしたちは、悪の勢力に負けずに、善をもって悪に打ち勝たなければなりません(ローマ人への手紙12:21参照)。

人間の目で見る時、このようなやり方が愚かで、損をこうむるように見えますが、実際にはそうではありません。なぜなら、神様は、おのおの行いに応じて報いをなさるからです(マタイの福音書16:27参照)。ですから私たちは、ひとえに主である神様だけを信頼して、善を行わなければならないのです(詩篇37:3参照)。

次には、義人と悪人に対する神様の断固とした決定に関して調べて見ることにします。神様は、悪人の行いをひとつ残らずすべてご存知です。詩篇の記者は、「主は彼を笑われる。彼の日が迫っているのをご覧になるから。」(詩篇37:13)と言いました。神様が笑われる理由は、悪人の運命がどうなるのかをご存知だからです。

しかし、義人に関しては、「わたしは必ずあなたを助け出す。」(39:18)と仰せられました。ですから私たちは、義人として、ひとえに神様にだけ拠り頼むことによって、主の御助けと保護を体験しながら、生きるようにしなければなりません。





お祈り

全能であられる、我らの父なる神様!

人間の目には、悪を行う者が栄えるように見えますが、彼らは草のように抜き捨てられ、枯れてなくなってしまいます。主である神様!私たちが神様にだけ拠り頼み、善を行うように導いてくださり、救いのその日を期待しながら、喜びながら生きて行くように助けてください。

イエス様の御名によりお祈り申し上げます。アーメン!