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11月17日



■神様が造りたいと望まれる器

「エレミヤ書 48章11節~13節」
48:11 モアブは若い時から安らかであった。彼はぶどう酒のかすの上にじっとたまっていて、器から器へあけられたこともなく、捕囚として連れて行かれたこともなかった。それゆえ、その味はそのまま残り、かおりも変わらなかった。
48:12 「それゆえ、見よ、その日が来る。――主の御告げ。――その日、わたしは、彼に酒蔵の番人を送る。彼らはそれを器から移し、その器をあけ、そのつぼを砕く。
48:13 モアブは、ケモシュのために恥を見る。イスラエルの家が、彼らの拠り頼むベテルのために恥を見たように。」




パレスチナは、気温が高く乾燥していて、飲み水が不足して難儀をこうむっている地域です。それで、人たちはこの地域で多く獲れるぶとうを醗酵させ、それに水を混ぜて飲料代用に飲みました。ぶとう酒を醸造する時には、滓を沈殿させてから、しきりに器から器に上部の水を移さなければ、良質のぶとう酒を得ることができません。

今日の本文(奉読個所)を通して、神様はモアブを器に譬えて詰られながら、バビロンに送って彼らの器を移す、と仰せられました。それでは、神様が望まれる器とは、果たしてどのようなものでほうか?

第1番目に、神様は、誤解を通して私たちを忍耐の器に造ろうと望んでおられます。神様が私たちを練られる時、先ず誤解の器の中に入るようになさいます。それによって、私たちは理由もなく誤解を受けたり、悪口を言われたりします。そうする時、私たちは解明しようと慌てずに、黙々として神様に祈り、待たなければなりません。そうしたら、私たちの中にある憎しみと偏見と我執が取り除かれ、誤解が解かれるようになります。祈りながら忍耐したら、主は、呆れかえる程の溝と沼から私たちを救い出してくださるのです。

第2番目に、神様は、絶望を通して私たちを信仰の器に造ろうと望んでおられます。ここに入って行ったら、四方八方が真っ暗で方向感覚を失ってしまいます。事業は手をつけられない程に滅茶に崩れ、家庭は破綻に直面し、する事が一切成功せず、それで絶望の夜を通るようになります。こうなったら、私たちはどうするすべもなく、上に居られる神様だけを見上げながら祈るようになり、神様に拠り頼む方法を身に付けるようになるのです。

私たちが試練を通過したら、過去に頼っていた人間的信仰を捨てて、はじめて主の御言葉だけに拠り頼む信仰を持つようになるのです。

第3番目に、神様は、非難と批評を通して私たちを献身の器に造ろうと望んでおられます。神様は、私たちが教会で奉仕の働きをする時など、たまに人たちから非難と批評を聞くようにして、私たちの献身とか奉仕を完全なものとなるようになさいます。私たちが神様に仕える中で色々な非難とか、批評する言葉を聞くようになったら、その時になって私たちの献身とか奉仕が、私たちの熱心と努力だけでできるものではない、と言うことを悟るようになり、それで神様に祈るようになるのです。

そうして、自分自身の能力ではない、聖霊の御力で神様に仕えることができる、まことの献身の器となることができるのです。





お祈り

素晴らしい、我らの父なる神様!

私たちが誤解を受け、絶望のトンネルを通り、隣人たちから非難され、批評される時、それらを忍耐し、信仰を正しく守って、立派な献身の器となるように助けてください。

イエス様の御名によってお祈り申し上げます。アーメン!