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11月22日



■神様が審かれる理由

「エゼキエル書 6章:1節~4節」
6:1 次のような主のことばが私にあった。
6:2 「人の子よ。あなたの顔をイスラエルの山々に向け、それらに向かって預言して、
6:3 言え。イスラエルの山々よ。神である主のことばを聞け。神である主は、山や丘、谷川や谷に向かってこう仰せられる。見よ。わたしは剣をあなたがたにもたらし、あなたがたの高き所を打ちこわす。
6:4 あなたがたの祭壇は荒らされ、あなたがたの香の台は砕かれる。わたしはあなたがたのうちの刺し殺された者どもを、あなたがたの偶像の前に投げ倒す。




私たちがこの世を生きていく時、いつも平坦な人生が持続されるのではありません。時には山の頂に登るように疲れ果てる時があるかと思えば、急な坂道を降りていくような危急な時もあります。それでは、私たち人生の道になぜ、このような難しい瞬間たちが近づいて来るのでしょうか?

第1番目に、偶像崇拝の罪に陥るからです。イスラエルの民たちは、エジプトでの悲惨な奴隷生活から権威ある御手によって救い出してくださった神様を裏切り、異邦の神々に仕える罪をしきりに犯しました。彼らは、乳と蜜の流れるカナンの地に住みながらも、彼らをその地に導いてくださった神様に背を向けて、異邦の神を崇拝したのです。

そうする度ごとに神様は怒りの手を伸ばして彼らを審かれ、それでも彼らが悔い改めないので、結局には、異邦の捕虜となって捕らえられて行くようになさいました。それと同じく、こんにちの私たちも、他の神々に仕えるとか、この世のものを神様よりもっと愛する偶像崇拝の罪に陥ったら、神様から捨てられて、恐ろしい審きを受けるようになるのです。

第2番目に、淫乱の罪に溺れるからです。こんにち、世の中でもっとも澎湃している罪が実に淫乱の罪です。淫乱の罪はおもに、マスコミや不健全な芸術作品を通して知らぬ間に私たちの生活の中に浸透して入って来ます。ところが、淫乱の罪は神様の神殿を破壊するのと同じです。聖書に、「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。」(コリント人への手紙第一3:16)と記録されています。聖霊様が宿っておられる私たちの体を淫乱によって汚したら、神様の審きを受けるようになるのです。

第3番目に、神様を試みる罪を犯すからです。聖書には、イスラエルの民たちが神様を試みたので、燃える蛇に噛み付かれて死んだ事件が記録されています(民数記21:4~9、コリント人への手紙第一10:9参照)。この御言葉がこんにち私たちに与える教訓は、主を信頼せずに、試みようとする者はサタンに噛み付かれて滅亡されてしまうと言うことです。

それでイエス様は、サタンが、神様の御言葉を試みるために神殿の頂から飛び降りてみなさいと誘惑した時、「あなたの神である主を試みてはならない。」(マタイ4:7)と、断固として退けたのです。神様を試みる時、私たちの人生には危機が近づいて来るのです。





お祈り

審かれる、我らの父なる神様!

イスラエルの民たちが偶像に仕えたことによって神様から峻厳な審きを受けたことを教訓として、私たち家族の者共が偶像崇拝の罪と淫乱の罪に溺れないように助けてくださり、いつも神様の御言葉の上に堅固に立つように導いてください。

イエス様の御名によりお祈り申し上げます。アーメン!