教会のお説教神様の知恵袋教会音楽道しるべ教会リンク集





12月5日



■泳げるところまで行きなさい

「 エゼキエル書  47 章: 3 節~ 5 節 」
47:3 その人は手に測りなわを持って東へ出て行き、一千キュビトを測り、私にその水を渡らせると、それは足首まであった。
47:4 彼がさらに一千キュビトを測り、私にその水を渡らせると、水はひざに達した。彼がさらに一千キュビトを測り、私を渡らせると、水は腰に達した。
47:5 彼がさらに一千キュビトを測ると、渡ることのできない川となった。水かさは増し、泳げるほどの水となり、渡ることのできない川となった。




今日の本文(奉読個所)には、神殿の敷居の下から水が流れ出てだんだんと深くなり、人が泳げるほどの川となる、エゼキエルが見た幻が記録されています。これは、私たちの信仰生活がどのような段階を経由して成長するようになるかを見せてくれるものです。

第 1 番目に、足首まで水が上がった信仰です。これは、世の中で目的なしに空しい人生を暮らしてから、どんな契機を通してであろうと聖霊に足首を握られて、イエス・キリストを救い主として受け入れ、神様を信じ始めた信仰を指します。

この段階の信仰では、未だ人間の強情と利己主義がそのまま残っているので、自分の知恵や手段で生きて行こうとします。時には、神様を利用しようとし、また時には、神様を否認することもあります。

第 2 番目に、膝まで水が上がった信仰です。これは、神様にひざまづく信仰です。神様から足首を握られた人が、色々な試練と患難を通して砕かれて、「生きようが死のうが、栄えようが滅ぼうが、どうなろうとも神様の御心に従って生きて行きます。」と、神様の前に降伏する段階の信仰です。

アブラハムは、 75 歳の時に神様から足首を握られましたが、不信仰と不従順によって 25 年の間砕かれ、 100 歳になってからはじめてひざまづいて信仰の人となりました。ヤコブは、神様の前にひざまづくまで 20 年かかり、ヨセフも、 10 年間の奴隷生活と 3 年間の牢獄生活を通して、ようやく神様の前にひざまづく信仰の人となりました。

第 3 番目に、腰まで水が上がった信仰です。これは神様に降伏した後、もうそれ以上自分の知恵とか手段方法で暮らさずに、ひとえに神様だけに拠り頼んで生きる信仰です。このような段階に至った人は、問題が近づいて来るたびに、祈りと信仰を通して問題を解決し、勝利を収める能力のある信仰の人です。

第 4 番目に、泳げるほどの水になった人です。この段階の信仰は、この世と自分は目にはなく、ただ贖ってくださった主だけが見える信仰です。このような段階にある人は、主を自分の牧者として暮らします。それで、目にはなんの徴も見えず、耳にはなんの音も聞こえず、手には触れるものがなにもなく、前途が漆黒のように暗くても、全幅的に主の恵みの川水に自分のすべてを委ねて、感謝と賛美で神様に栄光をお帰しします。

私たち各々は、この四つの段階の信仰のうちの或る一つの段階に属しています。今、どの段階に居ようとも、私たちは信仰のもっとも深い段階である“生ける水の川を泳ぐ”段階に至るように、益々努力しなければなりません。





お祈り

生ける水の川に導かれる、我らの父なる神様! 私たちの信仰生活の段階が、信仰を通して幼児のような姿から抜け出し、深い生ける水の川を泳ぐ段階に至ることができるように助けてください。

イエス・キリストの御名によってお祈り申し上げます。アーメン!