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「全能者の陰」
 






■聖書箇所

「詩篇 91篇 1節〜13節」
91: 1 いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る。
91: 2 私は主に申し上げよう。「わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神。」と。
91: 3 主は狩人のわなから、恐ろしい疫病から、あなたを救い出されるからである。
91: 4 主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける。主の真実は、大盾であり、とりでである。
91: 5 あなたは夜の恐怖も恐れず、昼に飛び来る矢も恐れない。
91: 6 また、暗やみに歩き回る疫病も、真昼に荒らす滅びをも。
91: 7 千人が、あなたのかたわらに、万人が、あなたの右手に倒れても、それはあなたには、近づかない。
91: 8 あなたはただ、それを目にし、悪者への報いを見るだけである。
91: 9 それはあなたが私の避け所である主を、いと高き方を、あなたの住まいとしたからである。
91:10 わざわいは、あなたにふりかからず、えやみも、あなたの天幕に近づかない。
91:11 まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。
91:12 彼らは、その手で、あなたをささえ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにする。
91:13 あなたは、獅子とコブラとを踏みつけ、若獅子と蛇とを踏みにじろう。




私は、今日、皆さんと共に『全能者の陰』という題目で御言葉を分かち合いたいと思います。

「詩篇 91篇」は、試練と患難に遭った人に大いなる慰めと勇気を与える神の御言葉です。私たちは「詩篇」を通して、神をどのように信じなければならず、どのように信仰告白をしなければならないかを教わる事ができます。それだけではありません。「信じる人と信じない人」の差異をはっきりと知る事ができるようになります。




第一、全能者の陰、即ち「隠れ場」

第1番目に、『いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る。』と詩篇記者は宣言しています。皆さん、全知全能で、愛であられ、栄光であられる神の御前に行く秘密の道があり、その神の隠れ場に住む為にはその秘密の道を通過しなければなりません。その秘密な道と隠れ場とは、まさに私たちの主イエス・キリストなのです。イエス様を通さない事には、いと高き方の隠れ場、全能者の陰に宿る事はできません。いと高き方の隠れ場、即ち秘密な所は、即ちイエス様なのです。

「コロサイ人への手紙 1章27節」に、『神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。』と記されています。

「ヨハネの福音書 14章6節」にも、『イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」』と記されています。神の陰、神の奥義の御言葉、イエス・キリストを救い主として受け入れたら、神の隠れ場に住み、全能者の陰に宿るようになります。

皆さん!神の陰の下に宿る、という事はどんなに素晴らしい祝福でしょうか。権勢家の陰の下にいたら、晏然とした暮らしをする事ができます。お金持ちの陰の下に宿れば、物質的に不足がないでしょう。強大国の民はその国の陰の下にいるので、どこへ行こうと肩で風を切るようになります。まして、天と地と海とその中のすべてのものを造られた神の陰の下に宿るとしたら、その神の恵みと祝福が如何に大きいでしょうか。




第二、神に対する私たちの信仰告白

第2番目に、それでは、この神と共に暮らしながら、私たちはどのような信仰告白をしなければならないでしょうか?詩篇記者は、『私は主に申し上げよう。「わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神。」と。主は狩人のわなから、恐ろしい疫病から、あなたを救い出されるからである。』と宣言しています。

私たちは、神を知るにしても心に信じ、口で告白しなければなりません。『人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。』私たちの口の告白には、素晴らしい力があります。聖書「マタイの福音書 18章18節」に、『まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。』と記されています。「つなぐ」「解く」と言う事は、口の告白なのです。

こんにち口の告白を正しくしたら、神の栄光と力が共にいて下さるようになります。『わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神。』と私たちが口で告白したら、その告白によって神がみわざを働かして下さるのです。どのようにみわざを働かして下さるでしょうか。狩人のわなから救い出して下さるのです。

サタンは、人のたましいを狩ります。肉の欲、すなわち食べる・着る・飲むことを通して、淫乱・放蕩・快楽を通して私たちを狩るのです。目の欲、すなわち豪華・贅沢・浪費を通して私たちを狩るのです。最近TVを見ますと、我が国の上流社会に属する家庭の婦人たちが恐ろしく贅沢・浪費していました。ショッピングしながら、高価な衣類・アクセサリー等を手当り次第に買い上げているのです。衝動的に購買するケースも少なくありません。

それを見ながら、「世の中の旦那さんたちが、気の毒だ…。」と思いました。何故?事業をする人たちに、いつ、経済的危機や困難が押し迫って来るかわかりません。奥さんたちが、旦那さんが稼いだ収入を貯蓄しておき、旦那さんが突然、経済的に甚だ難しくなって苦しむ時に、「あんた、これ…。難しい時でもあったら使おうと思って貯蓄しておいたわ。どうぞ…!」と言って差し出して上げたら、どんなに助かるでしょうか。豪気な旦那さんも、奥さんに頭を下げて感謝したい気持になります。

旦那たちは、事業をするとしてあらゆる労苦を惜しまずにお金を稼いでいます。それを奥さんがきれいに使い果たしてしまったら、後日、旦那さんの事業が苦しくなった時に、依り頼るところがありません。こんにち韓国上流社会の女性たちが、国の経済を台無しにしているという事実を私たちは知らなければなりません。これが、まさにサタンの罠なのです。サタンは、本人も家庭も社会経済も滅亡するようにするのです。

また、サタンは「政治的権勢と一攫千金」のために罠を仕掛けます。それで、人たちが不正腐敗を敢行し、罠にかかって破滅するようになります。私たちが主である神を「我が避け所、我がとりで」とし、「私の信頼する我が神」と信仰告白をしたら、神が助けて下さることによって、この狩人の罠から私たちのたましいと私たちの一生は救われます。

それだけではありません。「恐ろしい疫病」から、私たちを救い出されると言われました。皆さん、疫病に罹ったらどうなりますか。昔は「腸チフツ」を疫病と言いました。誰か一人が「腸チフス」に罹ったら、村全体に伝染して大騒動を起こします。私の友人の何人かもこれに罹って死にました。凄く高い熱を出し、非常な苦しみに会いますので、治った後にも頭髪が大部分抜けます。疫病は恐ろしいものです。この疫病から、主は私たちを守って下さると言われたのです。

「コリント人への手紙 第二 4章 8節〜9節」に、『私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。』と記されています。これは、私たちの神に対する正しい信仰と告白を通して成されるのです。

皆さん!私が先に唱えますから、皆さんも私に従って一斉にこの信仰告白を唱えましょう。「主は、『わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神です!』」皆さん、毎日、この信仰告白をするようにして下さい。神を知ったら、神に対する正しい信仰告白をするようになり、この正しい信仰告白が、「狩人のわな、恐ろしい疫病」から皆さんを救う神の力が現われるようにしてくれるのです。




第三、主の翼の下に避ける

第3番目に、私たちが神を信頼したら、私たちはその神の翼の下に避ける事ができるのです。「詩篇 91篇 4節〜6節」に、『主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける。主の真実は、大盾であり、とりでである。あなたは夜の恐怖も恐れず、昼に飛び来る矢も恐れない。また、暗やみに歩き回る疫病も、真昼に荒らす滅びをも。』と記されています。

皆さん、イエス様がイスラエルの民たちに向かって仰せられました。『わたしは、めんどりがひなを翼の下にかばうように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか…。』と。私たちの主イエス・キリスト、父なる神を信じる事は、まさにその翼の下に避ける事であり、神はその翼でかばって下さるのです。聖霊で私たちをかばうのですから、私たちは神の翼の下に宿ることになるのです。

めんどりが雛(ひよこ)を育てるのを見ますと、その翼の下に雛を熱心に集めます。雨が降ったら、雛を呼んで全部自分の翼の下に集めます。めんどりは雨にびしょ濡れになりますが、雛たちは全然濡れる事がなく、親鳥の温かい翼の下で保護されます。もしも犬や猫が近づいて来たら、瞬く間に親鳥が子鳥を呼んで翼の下に抱き、凄い威勢で抵抗します。

或る'にわどり小屋'に火事が起こりました。にわどりが皆火に焼けて死にました。主人が近寄って行って見ると、めんどりが一匹、火に焼かれたまま坐っておりました。そのめんどりを持ち上げて見たところ、その翼の下には雛たちがあり、雛たちは皆生きておりました。雛たちを焼き死にさせないが為に、めんどりが自分の翼の下に雛たちを抱いて、自分は焼け死にながらも雛たちを火事から守って上げたのです。

このように、めんどりは雛を自分の翼の下に保護し、かばって上げます。私たちの主を信じ、正しい信仰告白をする人には、主がその翼でかばって下さり、私たちはその翼の下で難を避けるようになるのです。

私たちが毎日、主イエス・キリストの御名を呼び、祈ったら、聖霊が私たちをかばって下さり、神の御力と愛が私たちを抱いて下さいます。そうなったら、私たちは「夜の恐怖」から解放される事ができるのです。「夜の恐怖」とは何でしょうか。夜中に突然変事が起こって寝床から起き上がる事です。予期しなかった盗賊に襲われるとか、水害、火災、戦争、地震等、私たちが思いも寄らなかったことが突然起こって、驚き、右往左往、慌てふためく…、このような事に会わないようにして下さる、と言われたのです。

「詩篇 32篇 6節」を見ますと、『それゆえ、聖徒は、みな、あなたに祈ります。あなたにお会いできる間に。まことに、大水の濁流も、彼の所に届きません。』と記されています。私たちが神をよく知り、正しい信仰告白をし、神に心から呼ばわり祈ったら、神が「夜の恐怖」も避ける事ができるように守って下さる、と言われたのです。

そして、「昼に飛び来る矢も恐れない。」と言われました。昼日中に矢が飛んで来て、私たちを刺すようなことがあってはなりません。しかし、このような事が数多く発生しています。公開的に、計画的に殺そうとする「敵」が少なくありません。こんにち、この世の暮らしは恐ろしい競争の連続です。相手の攻撃、謀略、中傷、また傷害を受けるようになるのです。

「詩篇 37篇32節〜33節」に、『悪者は正しい者を待ち伏せ、彼を殺そうとする。主は、彼をその者の手の中に捨ておかず、彼がさばかれるとき、彼を罪に定められない。』と記されています。私たちが、神の翼の下に身を避けるか、又は、そのような生活をしていたら、敵が計画的に真っ昼間に私たちを攻撃するとしても、神は捨て置かずに守ってくださり、避ける事ができるようにして下さるのです。即ち、神が救って下さるのです。

また、「暗やみに歩き回る疫病も恐れない。」と言われました。皆さん、暗やみに歩き回る疫病と言うのは、いつ、どこで襲われるか知れない不安なものです。真っ暗い所で敵が突然飛び出して攻撃してくるとしたら、これは防備する術がありません。暗やみの中に歩き回る疫病が与える心身の苦痛を、主は避ける事ができるようにすると言われたのです。

皆さん、IMFは、私たちには暗やみに歩き回る疫病でありました。我が国にIMFが訪れると言うことを誰が知っていたでしょうか。数多い人たちが職場を失い、会社が倒産し、家庭は破綻する、そしてホームレスがおびただしく生じる…、私たちは記憶にも残したくない悲惨な疫病を患いました。しかし、私たちが本当に心から悔い改め、主を熱心に愛し、絶えず祈り、主の懐の中に抱かれていたとしたら、主は、IMFが私たちを襲うようにはなさらなかったはずです。我が国民、我が国全体が高慢になり、聖徒さんたちまでも神様中心に暮らさず、祈らなかったので、このような暗やみに歩き回る疫病に見舞われたのです。

「ミカ書 7章 7節〜8節」を見ますと、『しかし、私は主を仰ぎ見、私の救いの神を待ち望む。私の神は私の願いを聞いてくださる。/ 私の敵。私のことで喜ぶな。私は倒れても起き上がり、やみの中にすわっていても、主が私の光であるからだ。』と記されています。主が共に居てくださったら、倒れても起き上がり、闇の中にいても主が光となって照らして下さるのです。

また、聖書には「真昼に荒らす滅びをも恐れない。」と記しています。真昼に荒らす滅び・・・、これは人間の不注意、または失策、軽率によって見舞われる破滅を言います。知りながらも防ぐ事ができません。私たちが経験したように、「三豊百貨店」が崩壊し、「聖水大橋」が沈没した大型惨事をご覧下さい。また、「大邱地下鉄工事場の都市ガス爆発事件」「シーランドの火災」「仁川のビール屋火災」最近には、「ヨイド地下電線共同溝火災」・・・、このようなものが「真昼に荒らす滅び」です。

目で見ながらも手が着けられないまま、対処することも避けることもできず、荒らされるがままに任すしかないのが、真昼の滅びです。「詩篇 121篇 7節」に、『主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。』と記されています。神様が守って下さってこそ、真昼に荒らす滅びを免れることができるのです。

「主は、わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神。」と告白する人には、神様がご自分の羽でおおって下さり、私たちがその翼の下に避けるようになるので、神様が私たちの大盾となり、とりでとなられて守って下さいます。それで、夜の恐怖も、昼に飛び来る矢も、暗やみに歩き回る疫病も、真昼に荒らす滅びをも、避ける事ができるようになるのです。

また、神を避け所とした人と、そうでない人を、「詩篇 91篇 7節〜8節」は次のように説明しています。『千人が、あなたのかたわらに、万人が、あなたの右手に倒れても、それはあなたには、近づかない。あなたはただ、それを目にし、悪者への報いを見るだけである。』と。皆さん、私たちがこの世を生きて行く時、千人が私たちの傍らで、万人が私たちの右手に倒れる・・・としたら、これは大変なことです。

しかし、聖書にはっきりと記録されています。神が私たちと共に居られたら、神が私たちを保護して下さるので災難は私たちには近づかないと。神を信じ、神に仕える人には、神がこのような災難から免れるようにして下さると言われたのです。




第四、私たちの住まいと口の告白

第4番目に、聖書は私たちの住まいと口の告白に関して記録しています。「詩篇 91篇 9節」の御言葉です。『それはあなたが私の避け所である主を、いと高き方を、あなたの住まいとしたからである。』皆さん、主である神を私たちの住まいとしたらどのようになるでしょうか。『わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神。』と告白し、いと高き方の隠れ場を住まいとします。イエス様を信じ、神のふところを私たちの住まいとしたら、全知全能なる神が私たちをすべての試練と患難から免れるようにして下さり、災難が私たちに及ばず、近づかないようにして下さる、と言われたのです。

皆さん、大きく声に出してもう一度告白しましょう。『わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神!』このように告白すると共に、神の御子イエス・キリスト、神の神秘の中に私たちが留まったら、神は私たちと共にいて下さり、千人が私たちのかたわらに、万人が私たちの右手に倒れても、災いが私たちには近づかないと言われたのです。神が共に居て下さるようにするのは、皆さんの信仰と口の告白がそうして下さるようにするのです。

イエス様の中に留まったら、神の隠れ場に住むようになり、全能者の陰に宿るようになるのです。ですから、私たちがイエス・キリストを信じ、神のふところに抱かれ、正しい信仰告白をする、と言う事は、私たちの人生に神の御力と権威が臨み、神が私たちを支えてくれる事ができる道がひらかれる、と言うことです。

「詩篇 91篇10節」に、『わざわいは、あなたにふりかからず、えやみも、あなたの天幕に近づかない。』と記されています。「わざわい」とは祝福の反対です。祝福していただけず、祝福の代わりに災難に見舞われる事です。平安の代わりに不安が、喜びの代わりに悲しみが、健康の代わりに病気が、成功の代わりに失敗が、そして祝福の代わりに貧乏と患難が襲って来る、このような事が「わざわい」です。ところが、私たちが神の御前に正しく信仰告白をし、神に拠り頼みながら暮らしたら、わざわいが私たちにふりかからない、と言われました。

また、「えやみも、あなたの住まいに近づかない。」と言われました。'えやみ'と言うのは、これは呪いです。さばきなのです。ヨブの場合を見ましょう。全財産を失ってしまい、家が倒れて子供たちがみな死に、全身悪性の腫物で町からは追い出され、土器のかけらで自分の身を掻いている所へ、妻までもが来て「神を呪って死になさい。」と言い、また友たちは訪れて来て彼を猛烈に非難しました。これは如何に大きな災難でしょうか。しかし、私たちが神を正しく信じ、信仰生活を正しくしたら、神が共にいて下さいますので禍が私たちに訪れず、この呪いである災難が私たちの天幕に近づかない、と言われました。




第五、神様が「御使い」を遣わされます

第5番目に、神様が私たちをそのままに捨て置かれるのではありません。私たちの人生の中に神様が「御使い」を遣わされて、守るようになさるのです。「詩篇 91篇11節」に、『まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。』と記されています。「御使い」とは何でしょうか。救われた相続人たちを助けなさいとして、遣わされた神様の霊たちです。神様は私たちの信仰告白を通して、私たちを守って下さるのです。

皆さん、ダニエルが首席大臣に任命されてペルシヤの全国を治めるようになるや、他の大臣や太守たちが彼を嫉んで非難し策略をめぐらして、ダニエルは遂に訴えられ獅子の穴に投げ込まれました。ところが主の御使いがその穴の中に共に居てくれたので、彼は獅子に噛み殺されず、生きて益々栄えました。

聖書を見ますと、ペテロが捕えられて処刑されるようになりました。ところがその前夜、主の御使いが現われて獄門を開き、解放させてくれた事実が記されています。こんにち、神の御使いたちは救われた相続者である聖徒の皆さんを守るために、今この時間も数限りなく私たちの周辺に来ているのです。

私たちは、神から見捨てられた孤独な存在ではありません。神は御使いたちに命じて、すべての道で私たちを守るようにしておられるのです。主の御使いたちは、私たちの足が石に打ち当ることのないようにしてくれます。皆さん、足が石に打ち当ったら倒れて傷を負い、血みどろになります。ところが、倒れて狼狽し傷を負う人生を暮らさないようにと、主は御使いたちを遣わされて私たちを守って上げると言われたのです。

「箴言 3章25節〜26節」に、『にわかに起こる恐怖におびえるな。悪者どもが襲いかかってもおびえるな。主があなたのわきにおられ、あなたの足がわなにかからないように、守ってくださるからだ。』と記されています。神は、宗教的・儀式的な方ではありません。神に拠り頼み、正しい信仰告白をしたら、神は私たちの生活の中に臨まれて、私たちを守って下さるのです。




第六、私たちに与えて下さる権威

第6番目に、神は、私たちに権威を与えて下さいます。「詩篇 91篇13節」に、『あなたは、獅子とコブラとを踏みつけ、若獅子と蛇とを踏みにじろう。』とあります。若獅子とはサタンの事であり、蛇とは悪い霊の事です。「マルコの福音書 16章17節〜18節」にも、『信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」』と記されています。主は、私たちがサタンと悪霊に勝つようにして上げる、と確かに言われたのです。

「ルカの福音書 10章19節〜20節」に、『確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。だがしかし、悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではなりません。ただあなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい。」』記されています。

皆さん!この世の中にはサタンと、蛇やさそりがうようよと横行しています。それで、汚れた霊、悪い霊、偽りの霊、占ないの霊、弱くする霊、放蕩させる霊、病気に罹るようにする霊・・・等、あらゆる悪霊が人たちを盗み、殺し、滅亡させ、個人と家庭を破滅に誘い込もうとしているのです。

しかし、私たちがイエス・キリストにあって神のふところに抱かれており、正しい信仰告白をしていたら、神は私たちに力と権威を与えて下さるので、若獅子と蛇とを踏みにじり、獅子とコブラとを足で踏みつけてしまうようになるのです。イエス様の御名によって、私たちは勝利の人生を暮らすようになるのです。

私たちは、不確実で、不安で、変化無双であり、どんな事が起こるか分からない世の中に住んでいます。それで、私たちは神様が必要であり、神様に対する知識が切実に要求されます。「詩篇 91篇」の御言葉は、このような私たちの要求を満たして下さる神様の御言葉です。

『いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る。私は主に申し上げよう。「わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神。」と。主は狩人のわなから、恐ろしい疫病から、あなたを救い出されるからである。主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける。主の真実は、大盾であり、とりでである。あなたは夜の恐怖も恐れず、昼に飛び来る矢も恐れない。また、暗やみに歩き回る疫病も、真昼に荒らす滅びをも。千人が、あなたのかたわらに、万人が、あなたの右手に倒れても、それはあなたには、近づかない。』

如何に素晴らしいお恵みでしょうか。

『あなたはただ、それを目にし、悪者への報いを見るだけである。それはあなたが私の避け所である主を、いと高き方を、あなたの住まいとしたからである。わざわいは、あなたにふりかからず、えやみも、あなたの天幕に近づかない。まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。彼らは、その手で、あなたをささえ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにする。あなたは、獅子とコブラとを踏みつけ、若獅子と蛇とを踏みにじろう。』

『愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。』と言われた主の御言葉通りに、神様は、イエス・キリストを信じ、全能者の陰、主の翼の下を住まいとし、口で堂々と信仰告白をしながら生きて行く人には、神の御力が共にいて下さって、私たちを守って下さると言う、驚くべき約束をして下さったのです。




お祈り

聖く、栄光であられる、我らの父なる神様!私たちがイエス・キリストにあって神様を心から信じ、正しい口の信仰告白をする事ができるように助けて下さい。口の告白は私たちの信仰であり、神様は口の告白を通して私たちの中にみわざを働かして下さる事を信じます。

しかし、余りにも多くの人たちが「否定的」で、「敗北的」信仰を持っており、唇を通していつも、否定的・敗北的「言葉」を語るので、神様が私たちの中にみわざを働かす事ができず、サタンが来て盗み、殺し、滅亡させる事を欲しいままにしています。

全知全能であられ、愛であられる我が天のお父さま!我らの主イエス・キリストの中に住む者は全能者の陰に宿り、神様は我が避け所、我がとりで、私の信頼する我が神である、と呼ばわり口で告白する者には主が共にいて下さって、狩人のわなから、恐ろしい疫病から救い出して下さいます。父なる神様の恵みが、我が聖徒さんたちに満ち溢れるように助けて下さい。イエス様の御名によってお祈り申し上げます。アーメン!